災害で病院や薬局が止まったとき、薬を積んだ車が来れば問題は解決する。そう聞くと、話は簡単に見える。けれど薬は、パンや毛布のように「必要そうなものを一つどうぞ」と渡せる物資ではない。

誰が、何を、どれだけ、いつまで使っていたのか。飲み合わせやアレルギーはないか。処方を誰が判断し、記録をどこへ残すのか。モバイルファーマシー、いわば「走る薬局」の価値は、車内の棚の数より、この細い情報の糸を切らさないところにある。

被災地へ駆けつけた医療者たち 新導入のモバイルファーマシーも活躍:朝日新聞
被災地へ駆けつけた医療者たち 新導入のモバイルファーマシーも活躍:朝日新聞

多くの人が避難生活を余儀なくされている熊本地震の被災地には、医師や薬剤師など様々な医療従事者が九州・山口各県から集まり、支援に当たっている。現地の状況や課題、10年前の熊本地震との違いを聞いた。

今回の登場人物

  • モバイルファーマシー:調剤設備、医薬品、電源や給水設備などを車両に載せ、被災地で薬局機能を補う車。運用には薬剤師と他の医療チームとの連携が要る。
  • 薬歴:患者が使っている薬、副作用やアレルギー、過去の服薬状況などの記録。安全な調剤の土台になる。
  • 災害処方箋:災害時の診療で発行される処方箋。被災状況に応じて、通常と異なる運用が認められる場合がある。
  • 災害医療チーム:医師、看護師、薬剤師などが避難所や救護所で診療を支えるチーム。車両だけで医療判断を完結させるわけではない。
  • 電子処方箋:処方情報を電子的にやり取りする仕組み。通信、本人確認、同意、対応機器がそろって初めて使える。

何が起きたか

朝日新聞は8月16日、7月28日に最大震度7を観測した熊本県の地震で、医療支援に入ったモバイルファーマシーの活動を報じた。被災地では医療チームが動き、薬局機能を備えた車両が医薬品の供給を支えた。

日本薬剤師会の資料によると、国内のモバイルファーマシーは東日本大震災後、宮城県薬剤師会が開発した車両が先駆けとなった。その後、自治体や薬剤師会、大学などへ広がった。2024年の能登半島地震では13台が活動し、薬剤師の派遣は延べ4,000人日を超えたと同会はまとめている。

被災地へ薬局機能を運べることは大きい。しかし、ニュースの中心を「珍しい車が活躍した」で終えると、本当に難しい部分が見えなくなる。

ここが本題――運ぶべきは薬だけではない

モバイルファーマシーには、調剤台、分包機、冷蔵庫、薬品棚、発電・蓄電設備、給水設備、通信機器などを備えた車両がある。停電や断水で地域の薬局が使えなくても、一定の調剤環境を持ち込める。これは災害医療にとって強い道具だ。

ただし、車両が到着した瞬間に薬の問題が消えるわけではない。必要なのは、少なくとも「患者の情報」「医師の判断」「薬の在庫」「調剤する人」「渡した後の記録」の五つをつなぐことだ。どれか一つが欠ければ、棚に薬があっても安全には渡せない。

走る薬局は、薬の宅配便ではない。小さな医療拠点であり、周囲の診療所、救護所、避難所、卸売業者、自治体の調整の中に入って初めて働く。

第一の壁は「いつもの薬が分からない」

慢性疾患の薬は、同じ目的でも成分、量、剤形がいくつもある。高血圧の薬を飲んでいる、という情報だけでは足りない。商品名が分かっても、何ミリグラムを一日何回かが分からなければ、同じ治療を安全に続けにくい。

お薬手帳、薬の現物、処方内容が見られる記録は重要な手がかりになる。しかし避難が急なら、手帳を持ち出せないこともある。家族と離れ、本人が薬の名前を思い出せない場合もある。薬局や医療機関のシステム自体が停電・浸水し、照会できないこともある。

電子処方箋やオンライン資格確認は、この穴を小さくできる可能性がある。一方で、災害時には通信と電源が落ちやすい。本人確認や情報閲覧への同意、現場側の対応環境も必要だ。デジタルは紙を魔法で消す道具ではなく、使える条件を平時から二重三重に用意してこそ役に立つ。

第二の壁は「ある薬」と「必要な薬」のずれ

車に積める量と種類には限りがある。地域でよく使う薬を想定して載せても、避難所の患者構成や被害の広がりは事前の表どおりにならない。冷蔵が必要な薬、管理に特別な注意が要る薬、代替しにくい薬もある。

そこで薬剤師は、処方された薬が手元にあるかを見るだけではなく、同じ成分や近い効果の代替薬を使えるか、医師への確認が必要か、追加の供給をどこへ頼むかを判断する。限られた在庫を早い者勝ちで配るのではなく、診療側と優先度を共有する必要もある。

つまり車内在庫は、独立した倉庫ではない。卸の供給網や地域の残存薬局、他の支援車両と結びつく「中継点」だ。道路が切れれば補充は遅れる。通信が切れれば、どこに何があるかの共有も難しくなる。

第三の壁は、制度の例外を現場で安全に使うこと

災害時には、被災状況や患者の事情に応じ、通常時とは異なる方法で処方や調剤が認められることがある。だが「災害だから薬剤師が自由に何でも渡せる」という意味ではない。どの条件で、誰の判断に基づき、何を記録するかは守らなければならない。

厚生労働省や日本薬剤師会の手引きが細かいのは、現場を縛りたいからだけではない。支援者が入れ替わっても、患者の治療を次へ引き継ぐためだ。今日渡した薬が記録されなければ、明日別の場所で重複して受け取ったり、組み合わせが変わったりする危険がある。

車の機動力と、記録の地道さは対立しない。速く届けるためにこそ、あとから追える記録が要る。

一本の薬が届くまでに、何人もバトンを持つ

被災者が「薬が切れそうだ」と訴えてから服用を再開するまでをたどると、連携の意味が見える。まず診療側が本人の病状と手元の薬を確認する。次に、過去の処方やお薬手帳などから薬の種類と量をできるだけ確かめる。医師が治療を判断し、薬剤師が処方内容と在庫、重複や相互作用を点検して調剤する。渡した内容を記録し、次の支援者や地域の医療へ引き継ぐ。

この途中で、普段の薬が入手できないこともある。その場合、代替薬を使うか、短い日数だけ渡すか、別の供給拠点へつなぐかを、医師と薬剤師が相談する。避難所を移る人もいるため、「この場所で一度渡せた」ことと「治療を継続できる」ことも同じではない。

だからモバイルファーマシーの成果を、調剤した件数だけで測ると見落としが出る。薬が必要な人を見つけられたか、必要な情報を回収できたか、補充が続いたか、地域の薬局が再開した後に記録を返せたか。災害の急性期から通常の医療へ橋を架けられたかまで見て、初めて役割を評価できる。

ここは地味ですが、かなり重要だ。災害現場では、派手な装備ほど目に入りやすい。でも患者の安全を支えるのは、誰に何を渡したかを残す、あの地道な一行だったりする。医療はしばしば、ヒーローより引き継ぎメモのほうが強い。

平時にできる準備は、車両購入だけではない

モバイルファーマシーを持つ自治体や団体が増えるのは心強い。けれど完成条件は納車ではない。誰が運転し、誰が調剤し、どの災害医療チームの指揮下で動くか。医薬品をどう補充し、平時の在庫をどう更新するか。通信が落ちた場合の代替手段は何か。訓練で確かめる項目は多い。

住民側にも小さな備えができる。お薬手帳を更新し、紙とアプリのどちらか一方だけに頼らず、薬の名前と量が分かる控えを持つ。避難時に薬を持ち出せたなら、袋や説明書も一緒にする。自己判断で量を変えず、避難先の医師や薬剤師へ相談する。これは車両の代わりではなく、車両が来たときに正しい支援へつながりやすくする準備だ。

自治体や医療側の準備と、住民側の準備は別々の話に見えて、現場ではきれいにつながる。患者が薬の情報を出しやすいほど、薬剤師は代替薬や必要量を判断しやすい。結果として、限られた在庫を本当に必要な人へ回しやすくなる。備えは「自分のため」と「全体のため」が意外と同じ線路に乗る。

だからこのニュースの見どころは、「最新の車両が何台あるか」だけではない。平時の地域医療が、薬局、病院、自治体、卸、住民のあいだで、どれだけ顔の見える準備をしてきたかだ。車は非常時の切り札だが、切り札だけでは試合は回らない。手札全体を整えておく必要がある。

まとめ

モバイルファーマシーは、被災地へ調剤設備と医薬品を持ち込める重要な道具だ。ただし、薬を積んだ車だけで災害時の服薬は守れない。患者の薬歴、医師の処方、在庫と補給、薬剤師、通信、記録をつなげて初めて「薬へのアクセス」になる。

見るべきなのは車両の台数だけではない。訓練、人員、連携、情報の予備線まで動くかである。走る薬局の本当のエンジンは、ガソリンや電池だけではない。平時から組んだ連携そのものだ。

Sources