「ヘディング直後、脳の損傷指標が上昇」。強い見出しです。読む側の頭の中では、すぐに「やはり危険だ」「いや、すぐ戻るなら安全だ」という二つの旗が上がります。でも今回の研究は、どちらの旗にもゴール判定を出していません。分かったのは、一試合のヘディングと、直後の血液中の物質変化が関連したことです。

ITmedia NEWSは8月20日、男子アマチュアサッカー選手302人を調べた研究で、ヘディングをした選手は試合直後に一部の血液バイオマーカーが上昇し、回数や強い衝撃との量反応関係も見られたと伝えました。今回の本題は「ヘディング禁止か、問題なしか」ではありません。この研究がどこまで負荷を測り、どこから先はまだ測っていないかです。

サッカーのヘディング、直後に脳の損傷指標が上昇 300人の実測データ 米医学誌に掲載
サッカーのヘディング、直後に脳の損傷指標が上昇 300人の実測データ 米医学誌に掲載

オランダのアムステルダム大学などに所属する研究者らが医学誌「JAMA Neurology」で発表した論文「Amateur Soccer Heading and Acute Elevations in Blood-Based p-Tau217 and S100B」は、アマチュアサッカーの試合で実際に生じるヘディングが、脳の損傷を示す「血液バイオマーカー」に影響を及ぼすかを検証した研究報告だ。

今回の登場人物

  • ヘディング: 飛んできたボールを頭で意図的に扱うプレーです。選手同士の衝突や転倒とは別の、反復する頭部への力になります。
  • バイオマーカー: 体内の変化を測る目印です。血液検査の数値は状態を知る手掛かりになりますが、一つの数値だけで病気や将来の障害が確定するとは限りません。
  • S100B: 主に脳のグリア細胞などに関連するたんぱく質です。脳への負荷で血中濃度が変わることがありますが、運動や脳以外の組織の影響も考える必要があります。
  • p-tau217: 217番目の位置がリン酸化されたタウたんぱく質です。神経変性の研究でも使われますが、試合直後の上昇をそのまま認知症の診断へ置き換えることはできません。
  • 急性変化: 直後に起きる短期の変化です。今回の研究では上昇が24〜48時間で元の水準へ戻りました。短期に戻ったことと、反復した長期影響がないことは別です。
  • 量反応関係: 曝露が多いほど変化も大きくなる関係です。因果関係を考える大切な手掛かりですが、それだけで原因を確定する判子ではありません。

何が起きたか

研究はJAMA Neurologyに2026年5月18日付でオンライン公開され、7月号に掲載されました。対象は、オランダの比較的高いレベルのアマチュア競技に参加する18歳超の男性で、神経疾患歴のない302人。2024年8月から12月までの公式戦11試合で調べました。

採血は試合前、試合終了から1時間未満、24〜48時間後の3回です。ビデオでヘディングの回数と強さを数え、位置情報と心拍で運動強度も測りました。302人のうち216人、72%がヘディングをし、平均は一人一試合2.0回。48%は、ボールの飛距離が20メートルを超える「高衝撃」のヘディングを経験しました。

結果は、ヘディングをした選手で、しなかった選手より試合直後のS100B上昇が大きかった。回数が多いほどS100Bとp-tau217の上昇も大きく、高衝撃のヘディングをした群でも両指標の上昇が大きかった。研究チームは運動強度を統計的に調整しています。上昇は24〜48時間で元の水準に戻り、調べた他の指標では有意な関連は確認されませんでした。

ここが本題

この研究の強みは、実験室で機械から同じ球を飛ばすのではなく、実際の試合で「誰が何回、どのくらいの強さで頭に当てたか」を映像で数え、同じ選手の試合前後を比べたことです。試合の運動そのものが血液指標を動かす可能性もあるため、ヘディングをしなかった選手と比べ、心拍などから運動強度を調整しました。

つまり、これまで見えにくかった「一試合の頭部への負荷」を、血液の短期変化として拾える可能性が一歩進んだ。選手本人が症状を訴えない程度のヘディングでも、生物学的な反応がまったくゼロとは限らない、という手掛かりです。

一方で、S100Bやp-tau217は車の警告灯に少し似ています。点灯すれば何かを調べる理由になりますが、ランプだけでエンジンのどこが何年後に壊れるかまでは分かりません。今回の数値上昇を「302人に脳損傷が起きた」「将来、認知症になる」と言い換えるのは、研究が答えた範囲を越えます。

この研究が証明していないこと

第一に、長期の症状や病気です。追ったのは最長で試合後24〜48時間。記憶、注意力、頭痛、画像検査の変化や、何年後の神経変性疾患を測った研究ではありません。数値が元へ戻ったので長期リスクはない、とも、短期上昇があったので長期障害が起きる、とも言えません。

第二に、子どもや女性へ同じ結果が出るかです。対象は成人男性のアマチュア選手で、平均年齢は24.6歳。成長期の脳、首の筋力、ボールの大きさ、競技レベルが違えば、受ける力や反応も変わり得ます。部活の小学生へ数字をそのまま移植することはできません。

第三に、ヘディングだけが指標変化の原因だという完全な証明です。研究は運動強度を調整し、回数や強さとの関係も示しました。ただし選手を無作為に「今日は5回頭で受けてください」と割り付けた試験ではなく、試合の中で自然に起きた曝露を比べています。ポジション、競り合い、接触など測り切れない違いが残る可能性があります。

第四に、個人を診断する基準です。研究は集団の平均的な変化を調べました。ある選手のS100Bがいくつなら出場停止、という境界値を作ったわけではありません。健康診断の一項目としてすぐ配れる検査でもありません。

なお、この論文は「強みと限界」の節でバイオマーカー名を取り違えた記述があり、7月20日に訂正が出ています。訂正はS100BとNfLという記載をS100BとBD-tauへ直したもので、主要結果のp-tau217、S100B上昇を撤回したものではありません。医学記事では、論文が出た日だけでなく訂正も追う必要があります。

ルールづくりにどう使えるか

研究結果から明日すぐ「全ヘディング禁止」とはなりません。それでも、競技団体が曝露を減らす予防策を考える材料にはなります。

イングランド・サッカー協会は今回の論文より前から、育成年代の練習で反復的で不要なヘディングを減らす指針を導入し、試合での意図的ヘディングもU7からU11まで段階的に外すルールを進めています。2026-27シーズンにはU11まで広がる予定です。これは今回の一研究だけから決めた措置ではなく、既存研究を踏まえた予防的な運用です。

今回の研究が加えたのは、「何回したか」だけでなく、ボールが長い距離を飛んだ高衝撃のヘディングも分けて見る意味です。将来は、練習と試合を合わせた回数、強さ、休養間隔を記録し、どの曝露を減らすと指標や症状が変わるかを調べられます。すべてをゼロか百かで争うより、減らせる反復から減らす設計ができます。

選手と保護者が今できること

この論文を読んで、症状のない人が自分で血液検査の数値を診断する必要はありません。一方、頭部への衝撃後に頭痛、めまい、吐き気、混乱、記憶の異常などがあれば、「ヘディングだから軽い」と片づけず、競技を中止して医療者の評価につなげるべきです。今回のバイオマーカー研究と、脳振とうが疑われる人の対応は分けて考えます。

指導者は、年齢別の競技団体ガイドラインを守り、必要のない反復練習を増やさない。回数と強度、体調を記録する。技術指導だけでなく、症状を言いやすい空気を作る。科学が長期影響へ最終回答を出すまで何もしないのではなく、競技の価値を保ちながら減らせる曝露を減らすことはできます。

まとめ

今回の研究は、成人男子アマチュア選手の実試合で、ヘディングと直後のS100B、p-tau217上昇が関連し、回数や強さとの量反応関係も見られたことを示しました。上昇は24〜48時間で元に戻りました。

説明し返すなら、血液はヘディング直後の生物学的な負荷を拾った可能性があるが、それは病気の診断でも、将来の脳障害の証明でも、安全宣言でもない。次に必要なのは、女性や子どもを含め、反復する曝露と症状、認知機能、画像、長期経過をつなぐ研究です。「危険か安全か」の二択を急ぐより、何を測れたかを正確に読むほうが、選手を守るルールへ近づきます。

Sources