再審制度のニュースは、事件名の記憶が強い人ほど「また長引いてるのか」と感じます。逆に普段あまり追っていない人には、制度の話ってどうしても眠く見えます。条文、部会、修正案。字面だけで、だいぶ会議室の空気です。

でも今回のニュースは、かなり大事です。なぜなら争っているのは、冤罪の可能性がある人が「やり直してもらうまでの遠さ」を縮めるのか、それともまだ逃げ道を残すのか、という話だからです。しかも焦点は、「原則禁止」と書くならどこに書くのか。地味ですが、ここが法律では妙に効きます。

自民党の再審制度見直し 政府の再修正案の了承を見送り 3時間超えの議論も結論出ず|FNNプライムオンライン
自民党の再審制度見直し 政府の再修正案の了承を見送り 3時間超えの議論も結論出ず|FNNプライムオンライン

えん罪の可能性がある場合に裁判をやり直す再審制度の見直しを巡り、自民党は政府の再修正案の了承を見送りました。党本部での会議は3時間を超え、7日午後5時過ぎに終わりました。法務省は、再審決定後に検察が不服を申し立てる「抗告」について、「十分な理由があるとき」を除き「してはならない」と記し、原則禁止とするなどの修正を行った案を示しました。しかし、法律の「付則」に盛り込んだことに反発する意見などが議員から出て、了承には至りませんでした。法律の本体である「本則」に明記するか、鈴木司法制度調査会長らが改…

今回の登場人物

  • 再審: すでに有罪が確定した刑事裁判を、えん罪の可能性などがあるときにやり直す手続きです。
  • 抗告: 裁判所の判断に不服がある側が、上の裁判所に見直しを求めることです。今回の焦点は、再審開始決定に対する検察の抗告です。
  • 本則: 法律の本体です。その法律が何を原則にするのかを、正面から書く場所です。
  • 付則: 施行日や経過措置など、補足的なことを書く部分です。軽い場所というわけではないですが、本体より「あと書き」に近い扱いになりやすいです。
  • 冤罪救済: 間違った有罪判決から人を救うことです。制度が遅いと、救済はあっても到着が遅すぎることがあります。

何が起きたか

FNNプライムオンラインによると、自民党は7日、再審制度見直しをめぐる政府の再修正案の了承を見送りました。会議は3時間を超えましたが、結論は出ませんでした。

同日のFNNやTBSの報道では、法務省は、裁判所が再審を決めた場合に検察が不服申し立てをする抗告について、「十分な理由があるとき」を除いて原則禁止とする案を示していました。ただ一部議員は、「原則禁止」を付則ではなく法律の本体である本則に明記すべきだと主張し、そこで折り合いませんでした。

本題

中心問いへの答えを先に言うと、今回の本題は「抗告を原則禁止するかどうか」だけではなく、その原則を本則に書くのか、付則に置くのかで、制度改正の本気度が変わってしまうところにあります。

法律の言葉って、同じ内容でも置く場所で温度が変わります。本則に書けば、「これが新しいルールの中心です」と正面から宣言する形になります。付則に置けば、「大事だけど補足的に扱います」という空気が残る。もちろん付則に書いたから無効、なんて話ではありません。ただ、運用や解釈のメッセージとしては違いが出ます。

今回、再審制度でそこが揉めたのは、検察抗告が再審を遅らせるボトルネックとして長く批判されてきたからです。再審開始が決まっても、検察が抗告すれば手続きがさらに長引く。えん罪救済の制度なのに、救済までの道がやたら長い。ここに対する不満が強かったわけです。

なぜ「原則禁止」だけでは足りないのか

ここで「じゃあ原則禁止って書けば終わりでしょ」と思いそうですが、法律はそんなに素直じゃありません。今回の案でも、「十分な理由がある場合」は例外を認めています。つまり完全な全面禁止ではありません。

だからこそ、本則か付則かが効いてきます。本則に強く書けば、例外は本当に例外として読まれやすい。付則に置けば、原則禁止の旗は立てつつ、なお柔らかい運用余地を残しているようにも見える。ここが議員側の警戒点です。言ってみれば、「禁煙」と大きく貼るのか、「できれば吸わないでね」を入口の端に置くのか、そのくらい印象が違います。もちろん法律は貼り紙ほど単純じゃないですが、感覚としては近いです。

ここで重要なのは、再審が普通の控訴とは違うことです。再審は、すでに有罪が確定したあとで、「本当にこの判決は正しかったのか」をもう一度開くための特別な手続きです。だから開始決定が出たのに、さらに抗告で時間がかかると、制度の目的そのものが弱くなります。やり直すための制度なのに、やり直しにたどり着くまでが遠すぎる。それでは救済があっても、到着が遅いんです。

しかも今回の案は全面禁止ではなく、「十分な理由がある場合」は例外を認めています。つまり、原則禁止と書いても、なお例外をどう運用するかという論点は残る。だから余計に、本則に明記するのか、付則でやわらかく置くのかが効いてくるわけです。例外込みの原則なら、なおさら原則部分は強く書け、という主張が出るのは自然です。

法律の置き場所なんて細かすぎる、と思うかもしれません。でも制度改正では、細かい書き方があとで効きます。現場は条文の文言で動きますし、裁判所も検察も「何が原則か」を読むとき、どこにどう書いてあるかを見ます。つまり今回は、政治的な言い回し争いというより、運用の背骨をどう作るかの争いなんです。

日本の読者にとっての意味

日本の読者にとってこのニュースが重要なのは、再審制度が「もし司法が間違えたら、どれだけ早く直せるか」を決める装置だからです。刑事裁判は、間違ってもすぐリセットできるゲームではありません。有罪が確定したあとにやり直すには、ものすごく時間も力も要ります。

だから、制度改正の争点が条文の置き場所に見えても、実際はかなり人間の生活に近い。再審開始が決まった後も検察抗告で長引くなら、名誉回復も、生活再建も、家族の時間も、そのぶん遅れます。法律の遅さは、だいたい人の人生にそのまま乗ってきます。

今回の見送りは、前進ゼロというより、「どこまで本気で変えるか」で止まった状態です。逆に言えば、抗告維持のまま押し切る段階ではなくなっているとも読めます。そこは前進です。ただ、本則で書けないなら骨抜きでは、と疑う声が出るのも自然です。制度改革って、ここで急に“行間の政治”みたいな顔をしてきます。

日本の読者にとっては、ここを「政治家同士のもめごと」で片づけないことが大事です。再審制度は、まさかのときの最後の出口です。その出口へ向かうドアを広く開けるのか、少しだけ開けるのか。今回の争点はその差に近い。だから見送りという結果だけでなく、何をどこまで法文に書き込むかを見る価値があります。

しかも再審は、使う人が多い制度ではないからこそ、後回しにされやすい分野でもあります。毎日使う行政手続きではないので、政治的な優先順位が落ちやすい。でも、いざ必要になった人にとっては人生そのものです。制度の利用者が少ないことと、制度の重さが小さいことはまったく別なんですね。そこを社会全体で忘れないためにも、今回の条文論争は見た目よりずっと重要です。

さらに言えば、本則に書くか付則に置くかは、将来の見直しのされやすさにも空気を与えます。中心に置かれた原則は崩しにくい。補足扱いの原則は、あとで揺らしやすい。だから今回の攻防は、今の一歩だけでなく、次に後退しにくい形を作れるかの勝負でもあります。

地味ですが、制度の骨組みはこういう場所で決まります。

まとめ

再審制度見直しの再修正案が自民党で了承されなかった今回のニュースで、本当に大事なのは「また決まらなかった」という表面ではありません。検察抗告を原則禁止するなら、その原則を法律の中心に置くのか、補足扱いにするのか。そこが、冤罪救済をどれだけ本気で早くする気があるのかを映しています。

今回の中心問いへの答えはこうです。争点は抗告の可否そのものだけでなく、「原則禁止」を本気の原則として据えるのかどうかにある。法律の置き場所は地味ですが、救済の速度を左右するので、まったく地味で済ませてはいけない話です。

Sources