地震で柱と土台がずれた家。それでも「半壊」と認定され、修理しながら住み続ける人がいる。「半壊」と聞くと、半分は壊れたが、残り半分は大丈夫――そんな印象を持つかもしれない。けれど、制度の言葉はそういう意味ではない。

今回の本題は、被害認定の区分と、安全な住まい・支援への接続の間にどんな溝があるのかだ。先に答えを言えば、罹災証明は住家全体の損傷度を共通の基準で判定し、支援制度へつなぐためのもの。一方、「この家に住み続けて安全か」「この人がここで暮らし続けられるか」は、別の調査と継続的な支援が必要になる。

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今回の登場人物

七尾市は、能登半島の中央部にある石川県の市だ。奥能登の市町に比べて全壊住宅の割合が小さく、半壊や一部損壊が多い。そのため、被害が外から見えにくい地域として今回の報道で焦点になった。

罹災証明書は、市町村が住家を調査し、「全壊」「大規模半壊」「中規模半壊」「半壊」「準半壊」などの被害程度を証明する書類だ。支援金、応急修理、公費解体、税の減免などを申請するときの重要な入口になる。

被災建築物応急危険度判定は、地震後の余震などで建物が倒れたり、物が落ちたりする危険を応急的に調べる仕組みだ。「危険」「要注意」「調査済」のステッカーで示す。罹災証明の被害認定とは、目的も判定も別である。

被災者生活再建支援制度は、住宅が全壊した世帯のほか、半壊した住宅をやむを得ず解体した世帯、長期避難世帯、大規模半壊・中規模半壊の世帯などに支援金を給付する国の制度だ。被害区分だけでなく、その後に解体するか、補修するかといった再建方法も支援内容に関わる。

何が起きたか

FNNプライムオンラインは2026年7月12日、能登半島地震から2年半がたった七尾市で、半壊や大規模半壊の家を修理し、住み続ける人たちを報じた。柱と土台がずれたままの家、大型車が通ると揺れる家も紹介されている。

報道によると、七尾市の住家被害は2026年2月28日時点で、全壊537棟、半壊5081棟、一部損壊1万1503棟だった。全壊だけを見れば被害が比較的小さく見えても、その外側に、損傷した家で暮らす大勢の人がいる。

石川県が2026年6月9日に公表した資料では、能登半島地震の死者は743人。内訳は直接死228人、災害関連死515人だった。災害関連死は、避難生活の疲労や環境悪化など、災害が間接的に影響した死亡を市町が認定したものだ。建物が倒れた瞬間だけでなく、その後の暮らしまでが命に関わることを、この数字は重く示している。

ここが本題

なぜ、柱と土台がずれた家でも「全壊」ではなく「半壊」になり得るのか。ここを理解するには、罹災証明が何を測っているかを見る必要がある。

内閣府の基準では、全壊は住家の基本的機能を失い、補修して元通りに使うのが困難な状態で、床面積による損壊割合が70%以上、または主要部分の経済的な損害割合が50%以上などとされる。半壊は、床面積の20%以上70%未満、または経済的な損害割合の20%以上50%未満が大枠だ。その中を補修の規模に応じて大規模半壊、中規模半壊、通常の半壊に分ける。

つまり「半壊」は、家の安全性が50点という通知表ではない。家全体に対してどれほどの物理的・経済的被害が出たかを、全国でなるべく同じように扱うための区分だ。この共通物差しがなければ、同じ被害なのに自治体によって支援が大きく変わりかねない。罹災証明は欠かせない。

ただし、その物差しだけでは、「次の揺れに耐えられるか」「高齢者が冬を越せるか」「トイレや風呂を安全に使えるか」「修理費を払い続けられるか」までは答えられない。ここに最初の溝がある。

似た言葉でも、目的が違う

被災した家には、似ているようで別の判定がある。罹災証明のための被害認定は、支援制度を適用する判断材料。応急危険度判定は、余震による倒壊や落下物から人命を守るための初期点検だ。さらに、長く使うためにどんな補強が必要かは、建築士などによる詳しい調査と設計の領域になる。

内閣府も、応急危険度判定で「危険」とされた家が、罹災証明で必ず全壊や半壊になるとは限らないと注意している。逆も同じ発想で、罹災証明の区分だけを見て恒久的な安全性を決めてはいけない。

たとえるなら、罹災証明は支援制度の改札を通るための大切な切符だ。しかし、建物の安全を保証する診断書そのものではない。切符に役割以上の仕事をさせると、制度にも住民にも無理が出る。

記事に出てくる「柱と土台がずれた家」について、外から個別の安全性を断定することはできない。必要なのは、本人の「怖い」「揺れる」という訴えを、被害区分の話だけで終わらせず、建築の専門家による確認や補強、別の住まいの選択肢へつなぐことだ。

支援は一本の線ではない

次の溝は、被害区分から支援へ進む道が一本ではないことだ。

国の被災者生活再建支援制度が対象として挙げるのは、全壊世帯、半壊などでやむを得ず解体した世帯、長期避難世帯、大規模半壊・中規模半壊世帯などだ。同じ「半壊」でも、修理して住むのか、危険や費用のため解体せざるを得ないのかで扱いが変わる。

一方、石川県の能登半島地震向け「住宅の応急修理」は、大規模半壊、中規模半壊、半壊、準半壊などが対象だ。日常生活に最低限必要な部分について、全壊から半壊までは1世帯70万6000円以内、準半壊は34万3000円以内を市町が修理業者へ直接支払う。県の案内では申請期限は2026年9月30日で、限度額を超える分は自己負担になる。

ここから見えるのは、「半壊だから支援なし」でも「半壊なら全部直る」でもない現実だ。制度ごとに対象、目的、金額、期限、申請先が違う。住宅本体だけでなく、宅地、ローン、賃貸への転居、公営住宅、義援金なども別の制度になる。被災して家の片づけと生活を回している人が、この複雑な路線図を一人で読み切るのは簡単ではない。

さらに、使える制度があっても修理業者が見つからない、見積もりが上限を超える、家族の介護や通院のため地域を離れられない、仮設住宅では元の近所付き合いが切れる、といった事情が重なる。支援の紙が届くことと、安全な暮らしに着くことは同じではない。

「家が残った」は復旧完了ではない

全壊住宅が並ぶ風景は、被害の大きさが一目で伝わる。半壊や一部損壊は、屋根や外壁が残り、明かりもつくことがある。だから復旧したように見えやすい。

けれど、住み続ける理由は「もう安全だから」とは限らない。故郷や先祖からの家への愛着、修理費や家賃の負担、仕事や畑、近所の支え合い、ペット、介護など、生活全体を考えた末の選択かもしれない。家を離れない人を「自己責任」、離れる人を「地域を捨てた」と見るのは、どちらも乱暴だ。選べる条件が人によって違うからである。

FNNの取材では、仮設住宅で知り合いがいないことによる孤立や、畑仕事をしなくなった高齢者の心身の衰えも語られた。安全な建物へ移れば、それだけで暮らしの安全が完成するわけでもない。住まいは、壁と屋根に加えて、人とのつながり、移動、医療、仕事を含む生活の土台だ。

だから必要なのは、被害認定を細かくすることだけではない。罹災証明を出した後も、修理が終わっていない世帯、損傷住宅に住む高齢者や単身者、仮設で孤立する人を継続して訪ね、建築・福祉・医療・法律の相談へ橋をかける仕組みである。区分は入口で、支援の終点ではない。

それで何が変わるのか

七尾の状況から、今後見るべき点は三つある。

一つ目は、住宅被害の数字を全壊だけで読まないこと。半壊、準半壊、一部損壊の件数と、実際に人が住み続けているかまで見なければ、必要な支援量を小さく見積もる。

二つ目は、罹災証明と安全確認を分けて案内すること。「何判定なら、次に誰へ相談するか」が住民に伝わる必要がある。柱、基礎、傾きなどに不安がある場合は、被害区分だけで自己判断せず、市町の住宅相談窓口や建築の専門家につなぐ。その導線まで用意して初めて、制度が命を守る。

三つ目は、申請待ちだけにしないことだ。行政が一律に支援金を配る力と、地域の支援者が個々の困り事を見つける力は、競争相手ではない。情報を共有し、訪問や集まりの場を通じて、制度との接点が切れそうな人へ、支援する側から繰り返しつながる必要がある。

半壊は「半分安全」ではない。そして、家が立っていることは、暮らしが戻ったことと同じではない。被害認定という公平な物差しを守りながら、その物差しでは測れない危険、費用、孤立を別の支援で埋める。七尾が突きつけているのは、その二段構えを復旧の標準にできるかという問いだ。

Sources