大学入試と聞くと、冬の教室で問題冊子をめくり、鉛筆の音だけが響く場面を思い浮かべる人は多い。でも、2025年度に大学へ入った人の53.6%は、一般選抜ではなく、総合型選抜か学校推薦型選抜を通っていた。
では大学は、とうとう学力を測るのをやめたのか。答えは「そうではない」。一日の筆記試験へ寄せていた物差しを、調査書、小論文、面接、共通テスト、資格・検定などへ広げ、組み合わせ方を変えている。試験が消えたというより、試験の顔が増えたのだ。

いま大学に入学する人のうち、半分以上が共通テストや一般入試といった「ペーパーテストの一発勝負」ではないルートで入学していることをご存じでしょうか。親世代が思い浮かべる「偏差値を上げて一般入試で戦う」… (1ページ)
今回の登場人物
- 一般選抜: 学力検査や小論文などを主な材料にして合否を決める方式。いわゆる「一般入試」に近いが、文部科学省の正式な区分名は一般選抜だ。
- 総合型選抜: 志願者本人の書類、面接などを使い、能力、意欲、適性を多面的に見る方式。昔の名称である「AO入試」の印象だけで読むと、現在の仕組みを取り違えやすい。
- 学校推薦型選抜: 出身高校の校長による推薦を土台に、調査書などと大学側の評価を組み合わせる方式。推薦状一枚で自動的に合格する制度ではない。
- 調査書: 高校での教科の成績や学習状況などを大学へ伝える書類。一日の点数ではなく、高校生活で積み上げた記録を見る窓になる。
- 学力の3要素: 文部科学省が入試で多面的に見るとしている、知識・技能、考えて判断し表現する力、多様な人と協力しながら主体的に学ぶ姿勢の三つ。
何が起きたか
TBS NEWS DIGは2026年7月14日、大学入学者の過半数が一般選抜以外を経ている現状と、保護者が塾へ求める役割の変化を報じた。記事が示した53.6%の出どころは、文部科学省がまとめた2025年度入学者の選抜状況だ。
内訳は、総合型選抜が12万6766人で19.5%、学校推薦型選抜が22万1415人で34.1%。合わせると34万8181人、53.6%になる。一般選抜による入学者は46.3%で、半数を下回った。ここで見ているのは志願者数でも合格者数でもなく、実際の入学者がどの区分を通ったかである。
ただし、前年との単純比較には注意が要る。文科省は2025年度から、従来の「一般選抜とそれ以外」という整理を、一般選抜、総合型選抜、学校推薦型選抜の三つへ再整理した。さらにこの年度の数字には外国人留学生向けの選抜も含まれるため、文科省自身が2024年度の数値とは比較できないと注記している。53.6%は大きな数字だが、「前年から一気に何ポイント増えた」という物差しには使えない。
ここが本題
53.6%を見て、「半分以上が学力試験なしで入った」と言い換えるのは早い。入試区分と、実際に使った評価材料は同じではないからだ。
文科省の2025年度入学者選抜実施要項では、総合型選抜と学校推薦型選抜でも、大学入学共通テスト、大学独自の学力検査、小論文、面接、実技、資格・検定試験などのうち、少なくとも一つを必ず活用するよう求めている。どの材料を何個使うかは大学や学部で異なるが、「一般選抜ではない」から「何も測らない」へは飛べない。
そもそも小論文は、覚えた用語を並べるだけでは書けない。資料を読み、筋道を立て、自分の考えを言葉にする力が要る。面接も、志望理由を暗唱する発表会ではなく、問いを受けて考え、伝える場になりうる。資格・検定や共通テストを組み合わせる大学もある。
もちろん、筆記試験と面接が同じものだという話ではない。測りやすい力も、採点のそろえやすさも違う。ここで言いたいのは、「学力」を教科問題の得点だけに縮めると、制度の設計を半分見落とす、ということだ。定規が一本から何本かになったのであって、測定係が帰宅したわけではない。
三つの方式は何が違うのか
一般選抜は、学力検査や小論文などを主な材料にし、調査書や本人の資料を組み合わせる。試験日の得点が比較的大きな役割を持ちやすい方式だ。
総合型選抜は、大学が示す「どんな学生を求めるか」と志願者の能力、意欲、適性が合うかを、書類や面接などで丁寧に確かめる。学校推薦型選抜は、高校長の推薦と調査書を土台にしつつ、大学側も別の評価を行う。名前は似ていても、出発点が「本人の応募」なのか「高校からの推薦」なのかで違う。
そして三方式の境界は、評価材料だけを見れば完全な壁ではない。一般選抜で調査書を使うこともある。総合型や学校推薦型で共通テストや学力検査を使うこともある。入口の看板は三つだが、店内の道具箱は一部共用されている、と考えると分かりやすい。
だから、一般選抜を「勉強する入試」、それ以外を「勉強しない入試」と二色に塗るのは無理がある。正確には、教科の知識を主に一回の試験で比べる比重が高い方式と、高校での記録や文章、対話、検定なども含めて見る方式がある。どちらも評価であり、何を重く見るかが違う。
学力は点から線へ
測り方が増えると、受験生の時間の使い方も変わる。一般選抜の筆記試験では、本番の日に力を出せるかが大きい。一方、調査書は高校での学習の積み重ねを映す。志望理由書や活動報告書は、自分が何を学びたいのかを整理して書く必要がある。面接では、その内容を質問されても自分の言葉で説明できなければならない。
つまり評価の時間軸が、「試験日の点」だけでなく「高校生活の線」へ伸びる。これは、部活動や派手な受賞歴があればよい、という意味ではない。活動の名前より、そこから何を考え、大学で何を学ぶのかを、大学が定めた方法で示すことになる。
一方で、多面的に見るほど自動的に完璧な評価になるわけでもない。面接や書類には、評価基準を明確にし、担当者によるばらつきを抑える仕事が必要だ。家庭や地域によって、資格試験を受ける費用や機会に差が出ることにも配慮が要る。物差しを増やせば、物差し同士の目盛り合わせも増える。道具箱が豪華になっても、説明書まで勝手に賢くなるわけではない。
53.6%から言えないこと
この統計だけでは、どの方式が「優秀」かは分からない。入学後の成績、退学率、卒業後の進路は示していないからだ。大学ごと、学部ごとの選考内容も集計値の中に畳まれている。53.6%を使って、推薦型の学生はこうだ、一般選抜の学生はこうだと人物像まで決めつけるのは、数字に頼みすぎである。
また「総合型・学校推薦型=年内入試」と一括りにする表現も、日程の傾向をつかむ呼び名としては便利だが、正式な選抜区分ではない。実際の日程、併願できるか、何を評価するかは募集要項によって違う。統計は全国の地図であって、志望学部の玄関の場所までは教えてくれない。
数字が確実に示すのは、一般選抜だけを大学入試の標準形だと思うと、すでに入学経路の半分以上を見落とすことだ。同時に、一般選抜以外を「学力不問」と呼ぶのも制度上は正確ではない。この二つを同時に押さえる必要がある。
誰に何が変わるのか
高校生にとっては、大学が何を測るのかを早めに読む意味が大きくなる。これは裏技探しではない。教科の試験、調査書、小論文、面接、資格・検定のどれを使うかによって、日々示すべき力が違うからだ。募集要項と、大学が求める学生像を示す入学者受入れ方針を読むことが、制度を正しく理解する第一歩になる。
保護者や高校、塾にとっても、役割は「冬の筆記試験へ向けて問題を解かせる」だけでは足りなくなる。文章を直し、問い返し、本人が考えを説明できるようにする支援が必要になる。ただし、大人が志望理由を立派な文章へ作り替えすぎれば、面接で本人の言葉とずれる。支援は代筆大会ではない。ここ、地味だけれどかなり大事だ。
大学側には、もっと重い宿題がある。何を見て、どう判定したのかを説明できる基準を作り、公平性を確保しなければならない。「多面的に見ました」は便利な言葉だが、何面体なのか分からなければ受験生は困る。評価材料を増やすほど、透明性も一緒に増やす必要がある。
まとめ
大学入学者の53.6%が総合型選抜か学校推薦型選抜を通ったことは、一般選抜だけが大学入試ではなくなった現実を示す。しかし、それは大学が学力を測らなくなったという意味ではない。総合型と学校推薦型でも、共通テスト、学力検査、小論文、面接、実技、資格・検定などから少なくとも一つを使い、能力や適性を評価する仕組みになっている。
中心問いへの答えはこうだ。変わったのは、学力を見るか見ないかではなく、どの力を、いつ、どの材料で見るかである。一日の点を重く見る方法に、高校での積み上げ、文章、対話などを組み合わせる方法が並んだ。53.6%は「試験が消えた数字」ではなく、「大学入試の物差しが一本ではなくなった数字」と読むのがいちばん正確だ。