「賃上げに協力してください」と頭を下げながら、同じ相手が嫌がる労働時間制度の見直しも進める。これ、言い方は悪いですが、片手で握手しながらもう片手で別の議題の資料を差し出している感じがあります。受け取る側からすると、「いや順番!」と言いたくなるやつです。
でも、政府の中ではたぶん別の絵で見ています。4月29日のメーデーで高市首相は連合に賃上げ実現への協力を求めました。その一方で、2月の施政方針演説では裁量労働制の見直しを明記し、厚労省の分科会や審議会でも議論を進めています。今回の中心問いはここです。なぜこんなねじれた同時進行になるのか。答えを先に言うと、政府が「賃金を上げる話」と「労働時間制度を組み替える話」を、同じ労働政策でも別の目的で動かしているからです。

高市総理大臣は、29日に連合のメーデー中央大会に出席し、物価高対策などの政策をアピールした。
今回の登場人物
- FNNプライムオンライン: 今回の入口記事です。2026年4月30日午前6時49分公開。メーデーでの首相発言と、連合側のけん制を伝えました。
- 連合: 日本最大の労働組合の全国組織です。ざっくり言えば「働く側の大きな連絡本部」で、春闘の数字や政策要求で存在感があります。
- 裁量労働制: 実際に何時間働いたかではなく、あらかじめ決めた時間だけ働いたとみなす制度です。自由な働き方の看板が立ちやすい一方、仕事量のブレーキが甘いと長時間労働の火種にもなります。
- 労働市場改革分科会: 日本成長戦略会議の下に置かれた場です。政府が成長戦略の文脈で労働時間制度や働き方を議論する、いわば政策の実験机みたいな場所です。
- 労働政策審議会: 厚労省の審議会です。労使と有識者が入る正式ルートで、制度改正の地ならしをする場です。政治の号令だけで突っ走らないためのガードレールでもあります。
何が起きたか
4月29日のメーデーで、高市首相は「物価上昇を上回る継続的な賃上げ実現のためにどうか皆さまのご協力をお願い申し上げます」と述べました。首相官邸の同日の記録でも、連合の第4回回答集計が5%超の賃上げになったことに触れています。連合の春闘第4回集計は、平均賃上げ額が1万6879円、率で5.08%でした。数字だけ見ると、ここは政府と連合でかなり利害が重なっています。
ただ、その同じ日に連合の芳野友子会長は、裁量労働制見直しに改めて反対を表明しました。TBSは、芳野氏が「裁量労働制の拡充は不要」であり、「データによって明らかになっていることは長時間労働になるだけだ」と述べたと報じています。2月19日の時点でも、芳野氏は拡充に「断固反対」と表明していました。
つまり、賃上げでは同じ方向を向けるのに、労働時間制度ではかなり温度差があるわけです。しかもこの対立は突然ではありません。2月20日の施政方針演説で高市首相は、働き方改革の総点検で集めた声を踏まえ、「裁量労働制の見直し」「テレワークなどの柔軟な働き方の拡大」に向けた検討を進めると明記しました。メーデーの前から、官邸はこのレールをもう敷いていたんです。
ここが本題
政府が同時に進めているのは、実は一つの政策ではありません。賃上げ要請は、物価高に負けない所得をどう作るかという政治課題です。一方、裁量労働制見直しは、成長戦略や人手不足対応の文脈で「労働時間制度をどう柔軟化するか」という別の課題として扱われています。財布の話と時計の話を、同じ机で同時に広げているようなものです。机の上はまあ、だいぶ散らかります。
政府側の理屈を追うと、この二本立てには一応の筋があります。施政方針演説では、継続的な賃上げ環境の整備と並んで、柔軟な働き方の拡大を成長戦略に位置づけました。3月6日の厚労相会見でも、総点検のアンケートで「労働時間を増やしたい」が10.5%、「このままでよい」が59.5%、「減らしたい」が30.0%だったと説明しています。ただし、その10.5%のうち、上限規制を超えて増やしたい人は0.5%でした。ここ、かなり大事です。政府は「もっと働きたい人もいる」と言いたい。でもデータは「上限を飛び越えたい人はごく少数」とも言っている。アクセルを踏みたいのか、ブレーキ確認をしたいのか、ちょっと同時にしゃべっている感じがあります。
連合が反発する理由
連合が嫌がる理由も、感情論だけではありません。厚労省の裁量労働制実態調査では、適用労働者の平均週労働時間は45時間18分で、非適用労働者の43時間2分より長かった。連合はこの種の数字を踏まえて、「柔軟化」という言葉が仕事量の増加を隠す包装紙になりかねないと見ています。包装紙だけおしゃれでも、中身が深夜残業では困るわけです。
しかも裁量労働制は、2024年4月にすでに改正が施行されています。本人同意や同意撤回の手続き、記録保存、健康・福祉確保措置の強化など、ブレーキを増やす改正が入ったばかりです。だから連合からすると、「まず今の改正が現場で効いているか見ようよ」という話になりやすい。すぐ次の見直し議論に入れば、保護強化の効き目を確かめる前に、また対象や運用の話が前に出かねません。
3月13日の労政審労働条件分科会でも、労働者代表委員は、裁量労働制の見直しを労働者の希望に沿う方向で進めるなら、労働時間を増やす方向一辺倒ではいけない、業務量や納期まで裁量で動かせないと働かざるを得ない状況に追い込まれると指摘しました。要するに「時間だけ任せたことにして、仕事の山はそのまま盛るな」という話です。これはかなり筋が通っています。
では政府はなぜ止めないのか
止めない理由は、政労使の相手が一人ではないからです。メーデーでは連合に賃上げ協力を求める必要がある。けれど成長戦略では、企業側や規制改革寄りの期待にも応えたい。さらに人手不足の中で、働き方の選択肢を増やしたいという政策需要もある。政府はその全部に同時に返事をしようとしている。結果として、「賃金では協調、時間制度では綱引き」という少しややこしい構図になります。
ただし、ここで大事なのは、政府の最終案はまだ固まっていないことです。施政方針演説も厚労相会見も「見直し」や「検討」を示した段階で、どこまで対象を広げるのか、あるいは運用改善が中心なのかは、まだ断定できません。労働市場改革分科会や労政審を通すのも、そこを詰めるためです。つまり今の政府は、「広げます」と言い切るより、「議論の扉は開けておく」という動きに近い。扉は開けた。でも中の家具配置はまだ決まっていない、という段階ですね。
日本の読者にとっての意味
この話は、労組と官邸の関係ニュースで終わりません。賃上げが進むかどうかと、働く時間のルールがどう変わるかは、本来セットで見ないと生活実感がずれます。給料が上がっても、仕事量や拘束感が強まれば「実質うれしさ」は削られる。逆に、柔軟な働き方が本当に自分の裁量を増やすなら歓迎する人もいる。だから大事なのは、賃金と時間のどちらか片方だけを見て拍手しないことです。
今回のねじれは、政府が矛盾しているというより、違う相手に違う課題で同時に答えようとしていることを示しています。ただ、その同時進行は、働く側から見ると十分に緊張を生みます。賃上げ協力を求めるなら、同時に進める労働時間制度見直しで、長時間労働の不安をどう抑えるのかまで示さないと、信頼は細りやすい。そこをふわっと済ませると、「握手はしたけどポケットの中では指が交差してるのでは」と見られてしまいます。
まとめ
政府が連合に賃上げ協力を求めながら、連合が嫌がる裁量労働制見直しも進めるのは、賃金政策と労働時間制度改革を別目的のレーンで同時に走らせているからです。前者では政労使協調が必要で、後者では成長戦略や人手不足対応の論理が前に出る。そのため、同じ相手に協力を頼みつつ、別の議題では対立も起きます。
ただし、見直しの最終像はまだ未確定です。だから今の段階で「大幅拡大が決まった」と読むのは早い。一方で、連合の反発にも、長時間労働や業務量管理への具体的な根拠があります。結局のところ、このニュースの本当の見どころは、政府が賃上げの旗と柔軟化の旗を両方持ったまま、健康確保のブレーキをどこまで具体的に描けるかなんです。
Sources
- FNNプライムオンライン: 高市総理が物価高対策など政策アピール 連合のメーデー中央大会に出席
- 首相官邸: 第97回メーデー中央大会
- 首相官邸: 第221回国会における高市内閣総理大臣施政方針演説
- 厚生労働省: 上野大臣会見概要 令和8年3月6日
- 厚生労働省: 第2回労働市場改革分科会 議事録
- 厚生労働省: 2026年3月13日 第207回労働政策審議会労働条件分科会 議事録
- 厚生労働省: 裁量労働制の概要
- 厚生労働省: 裁量労働制実態調査 結果の概況
- 連合: 2026春季生活闘争 第4回回答集計結果について
- TBS CROSS DIG with Bloomberg: 連合・芳野会長「裁量労働制の拡充、断固反対」
- TBS CROSS DIG with Bloomberg: 連合・芳野会長「裁量労働制の拡充不要」 メーデーで改めて主張