2025年度の「過労死等」をめぐる労災請求は6212件、支給決定は1310件だった。この二つを見たら、電卓を開いて「つまり認定率は……」と計算したくなる。でも、そこでいったん指を止めてほしい。
6212件はその年度に受け付けた請求、1310件はその年度に支給を決めた案件だ。前者にはまだ審査中の案件があり、後者には前年度以前に請求された案件が入る。同じ年度の欄に並んでいても、同じ集団ではない。今回の本題は、この二つを割って「認定率」にできない理由である。

厚生労働省は、昨年度の過労死などによる労災補償状況を公表しました。 仕事での過度な負荷による過労死や、ストレスによる精神障害などが理由の労災補償の請求件数は6212件でした。前年度から1402件増え
今回の登場人物
- 過労死等: 法律上は死亡事案だけを指さない。業務上の過重な負荷による脳血管・心臓疾患と、それを原因とする死亡、業務上の強い心理的負荷による精神障害と、それを原因とする自殺を含む。
- 請求件数: 労災保険の給付を求めて、その年度に受け付けられた件数。請求した時点では、仕事が原因だと認められたわけではない。
- 決定件数: その年度に審査結果が出た件数。支給と不支給の両方を含み、前年度以前の請求も入る。
- 支給決定件数: 審査の結果、「業務災害」または「複数業務要因災害」として認められ、給付を支給すると決まった件数だ。
- 厚生労働省: 労災保険制度を所管し、毎年度の請求や決定を集計している役所。今回の数字の出どころでもある。
何が起きたか
テレビ朝日は7月16日、厚生労働省がまとめた2025年度の「過労死等の労災補償状況」を報じた。請求件数は6212件で、前年度より1402件増えた。支給決定件数は1310件で、前年度より5件増えた。
内訳を見ると、精神障害の通常の労災請求は4958件で、前年度より1178件増えた。脳・心臓疾患は1254件で、224件増だった。全体の増加の多くを精神障害の請求増が占めている。
精神障害の支給決定を、心理的負荷を評価する際の「出来事」別に見ると、上司等からのパワーハラスメントが222件で最も多かった。顧客等からの著しい迷惑行為と、セクシュアルハラスメントは、それぞれ127件だった。
ここまでは重要な事実だ。ただし、「請求がこれだけあり、支給決定がこれだけだった」という並びから、2025年度に請求された案件のうち何割が認定されたかまでは分からない。
入口と出口が違う
なぜ割れないのか。学校の入試に置き換えると分かりやすい。
ある年度に願書を受け付けた人数と、その年度に合格通知を出した人数が発表されたとする。ただし、審査には時間がかかり、合格通知の一部は前年度に願書を出した人へ送られている。今年の願書を出した人の一部は、まだ審査中だ。このとき「今年の合格通知数」を「今年の願書数」で割っても、今年の受験者の合格率にはならない。
労災統計も同じだ。6212件は2025年度に審査の入口へ来た請求である。1310件は2025年度に審査の出口から「支給」として出た決定で、以前の年度に入口へ来た案件も含む。入口の箱と出口の箱に同じラベルを貼って割っても、年度がそろっているのはラベルだけ。中身の顔ぶれはそろっていない。
だから、6212件と1310件から「2025年度請求分の最終的な認定率」を出すことはできない。その率を知るには、2025年度に受け付けた請求を一つの集団として追い、全件の審査が終わった時点で結果を数える必要がある。今回の年次資料は、その追跡結果を示す資料ではない。
4692件は何を表すか
厚労省の資料には、もう一つ大事な数字がある。2025年度に支給または不支給の決定が出た案件は、合計4692件だった。
この4692件は、2025年度中に支給または不支給の決定が出た案件の合計だ。その中に支給決定1310件が含まれる。つまり、2025年度に出た決定の内訳を考えるなら、請求6212件ではなく決定4692件を見るのが筋になる。
ただし、ここでも言葉を丁寧に選びたい。4692件も、2025年度に請求された案件だけを集めた数字ではない。前年度以前の請求が含まれるので、そこから分かるのは「2025年度に決定された案件のうち、どれだけが支給決定だったか」である。「2025年度に請求された案件が最終的に認定される割合」とは別物だ。
厚労省は精神障害の通常労災について、支給決定件数をその年度の決定件数で見る認定率も掲載している。2025年度は、決定3839件に対して支給決定1082件で28.2%だった。これは対象が精神障害の通常労災に限られ、しかも同年度に決定した案件の構成を示す数字だ。全体の6212件にそのまま貼れるシールではない。
統計は、分子より先に分母の名札を見る。ちょっと地味だが、ここを飛ばすと数字が急に別人のふりを始める。
二つの病気と二つの働き方
全体の数字には、さらに違う種類の案件が合流している。
一つは、脳・心臓疾患と精神障害の違いだ。2025年度の通常労災では、脳・心臓疾患の支給決定が217件、精神障害が1082件だった。病気の性質も、仕事との関連を判断する基準も同じではない。全体の数字だけを見ると、この違いが見えにくくなる。
もう一つは、異なる事業主の複数の勤務先で同時に働く人を対象にした「複数業務要因災害」だ。全就業先の業務上の負荷を総合的に評価する仕組みである。2025年度は、脳・心臓疾患で7件、精神障害で4件、計11件の支給決定があった。
厚労省の集計では、請求件数について通常の労災と複数業務要因災害を別々には数えていない。一方、支給決定の内訳には複数業務要因災害が示されている。ここでも、全体の請求と支給決定を単純に一対一で対応させると、制度の違いがこぼれ落ちる。
増えた理由はまだ分からない
請求が前年度より1402件増え、支給決定は5件増だった。この差を見ると、「被害は急増したのに、ほとんど認められていない」と読みたくなるかもしれない。だが、今回の統計だけではそう断定できない。
まず、請求の増加と支給決定の増加は、同じ案件集団を前年と比べたものではない。加えて、請求件数が増えた理由も資料からは確定できない。実際の健康被害、制度の周知、相談や請求へのアクセスなど、複数の要因が考えられるが、どれがどれだけ効いたかは別の調査が必要だ。
パワーハラスメント222件も同じである。これは社会で起きたパワハラの総数でも、相談の総数でもない。仕事による精神障害として支給決定された案件を、評価上の出来事別に整理した数だ。深刻な被害を示す数字だからこそ、守備範囲を広げすぎずに読む必要がある。
数字を生活へ戻す
この読み分けは、統計のテストで丸を取るためだけの話ではない。働く人が「請求したのに、すぐ結果が出ないのはおかしい」と不安になったとき、請求と決定に時間差があることを知っていれば、年次の数字を自分の案件の結論と混同せずに済む。ただし、年次統計だけでは個別案件の審査期間や進捗は判断できない。個別の状況は担当窓口へ確認する必要がある。
また、ニュースを読む側も、認定の厳しさを論じるなら、同じ案件集団を追った数字なのか、年度内に終わった審査の内訳なのかを確かめられる。件数は問題の大きさを考える入口になるが、数字一組だけで制度全体の評価まで済ませることはできない。
ここで覚えておきたい答えは二つだ。6212件は2025年度に受け付けた請求で、1310件は過年度請求も含めて2025年度に支給決定された案件である。同じ案件集団ではないため、二つを割って2025年度請求分の認定率にはできない。
数字を疑う必要はない。まず「誰を数えた数字か」を確かめる。それだけで、労災統計はかなり正確に読めるようになる。