「法人の役員になれば、会社員向けの社会保険に入れる」。そう聞くと、役員登記や雇用契約書さえあれば入口を通れそうに思える。でも行政が見るのは、名刺の肩書より、その法人で本当に何をして、何の対価として報酬を受けているかだ。

厚生労働省が調べた45事業所では、38事業所が指導後に届け出を行い、1万1610人が資格を失った。なぜ書類が整っていても認められないのか。今回は、この一点を仕事とお金の流れからほどこう。

「国保逃れ」計1万1千人超、45事業所で疑い 厚労省が調査|朝日新聞|朝日・日刊スポーツ
「国保逃れ」計1万1千人超、45事業所で疑い 厚労省が調査|朝日新聞|朝日・日刊スポーツ

個人事業主らが法人の役員になることで国民健康保険(国保)や国民年金の重い保険料を避ける「国保逃れ」をめぐり、厚生労働省は14日、全国45事業所で国保逃れが疑われる事案があったとする調査結果を公表した…

今回の登場人物 ​

  • 厚生労働省:健康保険や厚生年金の制度を所管する役所。加入資格をどう判断するか、全国の年金事務所などに通知を出す。
  • 日本年金機構:事業所の届け出を受け、加入資格の確認や調査を担う組織。今回はウェブサイトや外部からの情報を手がかりに調査した。
  • 被用者保険:会社員などが入る健康保険と厚生年金のこと。この記事でいう「社会保険」は、主にこの二つを指す。
  • 国民健康保険・国民年金:自営業者や、勤務先の被用者保険に入らない人などを支える制度。加入する箱を気分で選ぶのではなく、働き方によって決まる。
  • 社会保険料削減をうたう事業者:個人事業主らを役員や従業員として加入させる仕組みを提供していた法人。サービス名が同じでも実態は一様とは限らず、資格は一人ずつ判断される。

何が起きたか ​

朝日新聞は9月14日、いわゆる「国保逃れ」をめぐる厚労省の調査結果を報じた。日本年金機構は2026年3月から8月にかけ、社会保険料の削減をうたう45の事業所を調査。8月31日時点で、38事業所が対象者全員について資格喪失届を提出し、合計1万1610人が被用者保険の資格を失った。残る7事業所は調査中だ。

ここは数字の置き方が大事だ。45事業所すべてで不正が確定したわけではない。1万1610人全員が意図的に制度を悪用した、と決まったわけでもない。確認できたのは、38事業所が指導を受けて届け出をし、その対象者が資格を喪失したところまでである。

ここが本題 ​

健康保険法と厚生年金保険法は、適用される事業所に「使用される者」を加入対象にしている。日常語に直すと、その法人で継続的に業務を担い、その対価として報酬を受ける実質的な関係がある人だ。法人登記に名前があるか、契約書の表題が「正社員」かだけで決まる、とは書かれていない。

「え、役員って書いてあるのに?」。うん、そこが今回の落とし穴だ。役員は一般の従業員のように労働時間だけでは測りにくい。だから厚労省は、役員について主に二つを見る。法人の経営に継続的、実質的に関わる仕事をしているか。そして、その仕事の対価として法人から継続的に報酬を受けているか、だ。

名札が立派でも、名札自身が会議に出たり、判断したり、取引先と調整したりはしてくれない。社会保険への加入は、肩書を買うサービスではなく、実際の使用関係に付いてくる仕組みなのである。

「経営に参加」の中身をめくってみる ​

では、何をすれば役員の仕事なのか。厚労省の通知は、会議への出席、役員間の連絡や調整、従業員への指揮監督、事業運営に必要な判断などを、勤務実態を確かめる材料として挙げる。ただし、どれか一つのチェック欄に丸が付けば合格、という話ではない。頻度、内容、責任、ほかの事情をまとめて見る。

反対に、役員会に名前だけ連ねる、求められたときに意見を返すだけ、自分の事業のために研修やアンケートへ参加する、会員同士で活動報告や情報交換をする、といった事情だけでは、通常は法人経営への実質的な参加とは認めにくい。知人を紹介する、互いの事業に協力するといった活動も、それだけで直ちに役員業務になるわけではない。

要するに「何かはしていた」と「その法人の経営を担っていた」の間には距離がある。文化祭で一度アイデアを言った人を、翌日から実行委員長と呼ぶわけにはいかないのと少し似ている。もちろん、ここで笑っているのは制度のややこしさであって、加入を失った個人ではない。

報酬より大きい「会費」が語ること ​

もう一つの焦点がお金の流れだ。法人から役員報酬が振り込まれていても、本人が同じ法人へ、それを上回る会費などを払っていたらどうか。厚労省は、その場合、報酬が仕事への本当の対価とは通常認められないとしている。

名称は会費に限らない。通知は、勉強費、広告費、掲載料、参加料、コンサルタント料、協力金、委託費など、名称を問わず見る対象にする。報酬より支払いが少なければ自動的に問題なし、でもない。支払いが報酬の多くを占め、活動も会員同士の助け合いにとどまるなら、金額の比率、仕事の時間と内容を合わせて判断する。

法人から出たお金が、別名の料金として戻っていないか。お金が法人を一周して「給与の顔」で戻ってきても、行政は一周した道筋まで見る。振込記録がある、という一枚の写真だけでなく、その前後の短い動画を確認する感じだ。

「正社員」という看板にも同じ物差し ​

9月14日、厚労省は役員向けの通知を改めただけでなく、労働時間が極端に短いのに正社員の形を取る人についても新しい通知を出した。雇用契約書に正社員と書かれていても、出勤日数、労働時間、働き方、仕事内容などから、本当に継続して働く関係かを確認する。

通知は、報酬が実際の仕事の対価ではなく、しかも仕事が継続的な労務提供でもない場合、原則として資格を認めないと整理した。どちらか一方だけに当てはまる場合は、事情をまとめて個別に判断する。短時間勤務だから即アウト、低い役員報酬だから即アウト、ではない。

ここは線を太く引いておきたい。副業の役員も、報酬の低い役員も、短時間で働く正社員も一律に違法ではない。本当に業務を担い、その対価を受け取っている人まで排除する通知ではない。問題なのは、加入資格を作るためだけの肩書や契約になっていないかである。

資格の時計と、支払いの時計は別に動く ​

資格喪失が過去にさかのぼって判断されると、「いつまでさかのぼるのか」が気になる。政府は4月10日の衆議院厚生労働委員会で、客観的に資格がないと確認できる日にさかのぼって資格を失わせ、個別に判断すると説明した。その日から国民健康保険や国民年金の対象になるのが基本だ。

ただし、資格の期間と、実際に保険料を徴収できる期間は同じではない。国民健康保険の保険料方式なら最大2年、自治体が国民健康保険税として集める方式なら最大3年、国民年金保険料は原則2年という賦課・徴収の期間制限がある。つまり、カレンダーは一冊ではない。資格をいつから直すかという時計と、いくら遡って請求できるかという時計が、別々に動く。

だから「1万1610人が全員、同じ年数、同じ金額を払う」とは言えない。医療費が一律に全額自己負担になる、とも今回の公表だけでは断定できない。加入していた期間、自治体の方式、すでに支払った保険料、受診の状況などによって処理は変わる。

それで何が変わるのか ​

個人事業主側が確認すべきなのは、サービスの宣伝文句より、自分の仕事を具体的に説明できるかだ。いつ、どこで、何を判断し、誰と調整したのか。受け取る報酬はその仕事への対価か。法人へ払う会費や委託費と、どういう関係にあるか。契約書だけでなく、会議記録、業務連絡、勤怠、成果物、お金の流れが同じ物語を語っている必要がある。

法人側にも同じことが言える。肩書を並べて資格届を出すだけでは足りない。実際に任せる仕事、責任、報酬を整え、説明できなければならない。今回の通知は新しい抜け道クイズを始めたのではなく、もともと法律にある「使用される者」を、形式と実態が一致しない疑いのある事例に当てはめる判断材料として言葉にしたものだ。

まとめ ​

法人の役員や従業員という肩書があっても、それだけで社会保険に入れるわけではない。必要なのは、その法人の仕事を継続的、実質的に担い、その対価として報酬を受ける関係だ。登記や契約は証拠の一つだが、実態そのものではない。

45事業所のうち38事業所、1万1610人という数字は大きい。だからこそ、全員を一括で悪者にするのではなく、残る7事業所は調査中で、資格も遡及負担も個別判断だと分けて読む。大事なのは「どの保険が安いか」より先に、「自分はそこで本当にどう働いているか」を確認することなのである。

Sources ​