これは、画像をそのままコピーして貼った、というだけの話ではありません。歴史上の人物を描いた現代の肖像画を生成AIに読み込ませ、出力された画像の着物や顔を人が手直しし、それを記事の挿絵として公開した。ところが媒体は後に画像を削除し、権利者へ謝罪しました。
AIを一度通し、人も加工したなら、元の絵との関係は切れるのでしょうか。答えは「自動では切れない」です。大事なのは加工の回数ではなく、元作品を基にしたか、その創作的な表現が残っているか。さらに、制作を外注しても、公開前の確認まで外へ消えてくれるわけではありません。
小学館のWebメディア「サライ.jp」は9月18日、8月23日に配信した記事に掲載したイラストを巡り、著作権侵害があったとして謝罪した。制作を担当したフリーランスのイラストレーターが、岡山城に展示されている「豪姫」の肖像画を権利者に無断でChatGPT(米OpenAIが提供する生成AI)に読み込ませ、生成した画像を加工して納品していたという。
今回の登場人物
- 三善千愛さんと豪姫の肖像画: 三善さんは、岡山城で展示される宇喜多家ゆかりの女性たちの肖像画を手がけた現代の作家です。豪姫が歴史上の人物でも、現代に描かれた絵の表現まで昔のものになるわけではありません。
- サライ.jp編集部: 問題となった挿絵を記事に掲載した媒体側です。公式説明で、権利確認、外部委託先の管理、公開前の確認に不備があったと認めました。
- 編集制作会社とイラストレーター: 編集部から制作を受け、さらにイラスト制作を依頼された側です。今回は、この委託の連なりの中で確認がどう抜けたかが重要です。
- 類似性: 元作品の創作的な表現と、後から作られた画像が似ているか、という見方です。
- 依拠性: 偶然似たのではなく、元作品を知り、それを基に作ったか、という見方です。「よりどころにしたか」と考えると分かりやすいでしょう。
- 翻案: 元作品の表現上の特徴を残しながら、別の表現へ作り替えることです。何かを変更すれば必ず翻案になる、あるいは変更すれば必ず問題がなくなる、という単純な線引きではありません。
何が起きたか
ITmedia NEWSは9月18日、小学館の「サライ.jp」が、記事に使ったイラストについて三善さんと著作権者の岡山市へ謝罪し、記事と画像を削除したと報じました。
サライ.jpの公式説明によると、記事制作は編集部から編集制作会社へ委託され、イラストはフリーランスのイラストレーターへ再委託されました。イラストレーターは豪姫の画像を検索し、三善さんの肖像画を見つけたものの、権利者や利用許諾を確認せず、画像をChatGPTに読み込ませたといいます。そして、戦国時代の姫の画像を作るよう指示しました。
その後、出力画像を画像編集ソフトのAffinityへ取り込み、着物の柄を変えました。顔は別の銅像の画像を参考に、ペン機能で描き直したと説明されています。つまり、元絵、生成AI、人の加工という複数の工程がありました。
ここで、誰かの悪意や動機を推測する必要はありません。確認できるのは、特定の作品を入力したこと、権利処理を確認しないまま制作が進んだこと、媒体側が確認不足を認めて謝罪したことです。また、この謝罪は裁判所による侵害認定ではありません。法的な最終判断と、媒体が公表した事実・反省は分けて扱います。
二つの関門
生成AIで作られた画像を公開・利用するとき、他人の著作権を侵害するか。文化庁の整理では、一般に「類似性」と「依拠性」が重要になります。言葉は硬いですが、順番に見れば大丈夫です。
類似性で見るのは、単に題材が同じかではありません。「豪姫を描く」というアイデア自体と、ある作家が線、色、構図、人物の姿などを選んで表した具体的な表現は別です。著作権が守るのは、基本的に後者です。歴史上の人物はみんなが題材にできますが、誰かが新しく描いた肖像画を、みんなの自由素材にする魔法まではかかりません。
依拠性は、元作品を知り、それを基にしたかを見るものです。偶然似た二つの作品と、片方を見ながら作った作品では事情が違います。今回の公式説明では、イラストレーターが特定の肖像画を見つけ、その画像を生成AIへ直接読み込ませたとされています。この点で、「学習データのどこかに作品が入っていたかもしれない」という一般的な議論とは分けて考えやすい事例です。
ただし、二つの言葉に丸を付ければ機械的に結論が出るわけではありません。どの部分が似ているか、それが創作的な表現か、どのような利用だったかを個別に見る必要があります。この記事も、裁判所に代わって今回の法的結論を確定するものではありません。
AIはリセットボタンではない
では、画像をAIへ通すと、なぜ元作品との関係が消えないのでしょう。生成AIは、入力した画像の権利関係を洗い流す装置ではないからです。出力の見た目が変化しても、元作品を基にした事実は、道具を一つ挟んだだけではなかったことになりません。
ここは、「AIはコピー機と同じ仕組みだ」と言いたいわけではありません。仕組みは違います。けれども、使う道具を高性能な画像加工機へ替えたからといって、入力元の確認が不要になるわけではない。この実務上の筋道は同じです。
逆に、今回の出来事から「生成AIで作った画像は全部違法だ」と広げるのも間違いです。文章だけの指示から作る場合、利用許諾のある素材を使う場合、保護期間が終わった作品を使う場合など、前提はさまざまです。生成AIの利用そのものと、特定の出力・利用が他人の著作権を侵害するかは別の問いです。
さらに、ChatGPTの利用規約に合っていたか、サービス内部で画像がどう処理されたか、一般の学習データに何が含まれるかも、今回の公式説明だけからは分かりません。分からないことまで棚へ盛ると、論点のお皿が見えなくなります。今回は、特定作品を入力し、その出力を公開物に使った工程に絞ります。
手直しで何が変わるのか
では、着物の柄や顔を人が変えたら、別作品になるのでしょうか。変更を加えたという事実は大切ですが、それだけで「問題なし」の判定にはなりません。見るべきなのは、元作品の創作的な表現上の特徴が、加工後にも残っているかです。
著作権法には、著作物を複製する権利のほか、翻案する権利があります。元作品をそのまま写すだけでなく、表現上の特徴を保ったまま作り替える行為が問題になる場合もある、ということです。ですから、AIが出した後に人が描き足したことは、権利とのつながりを自動で切るハサミにはなりません。
一方で、「一部でも直した画像はすべて侵害」「元絵を見たら何を作っても侵害」という話でもありません。アイデアしか共通しないのか、創作的な表現が残っているのか。加工後にどの表現が残り、どの表現が新たに加わったのか。具体的な画像を見て判断する必要があります。加工率が何%なら白、という便利な温度計はないんですね。
なお、AI出力それ自体に著作権が成立するかは別論点です。人の創作的な関与がどの程度あるかという問いと、その出力が他人の著作権を侵害するかという問いは、同時に出てきても混ぜないほうが分かりやすい。今回は後者が本題です。
委託しても確認は消えない
今回もう一つ大切なのは、制作が外注・再委託されていたことです。仕事を外へ頼むこと自体は普通です。ただし、仕事を渡した瞬間に、確認まで透明になって消えるわけではありません。
再発防止を考えるなら、たとえば制作者は、何を参考にし、何をAIへ入力したか、その素材の権利者は誰か、利用できる根拠があるかを記録する。制作会社は、再委託先へルールを伝え、参照元のURL、許諾の証拠、AI利用の申告、中間ファイルなどを受け取って確認する。編集部は、公開する立場として、納品物と説明が合っているか、権利処理に抜けがないかを最後に確かめる。駅伝のたすきのように、確認情報も次の人へ渡さなければなりません。たすきだけ途中で昼寝させてはいけないわけです。
サライ.jpの説明は、イラストレーターによる権利確認の不足だけでなく、編集制作会社の指示・管理、編集部の掲載前確認にも不備があったとしています。この公表から学べるのは、個人一人を注意して終わるのではなく、複数の確認地点を作る必要があることです。
ただし、制作者、制作会社、編集部が同じ法的責任を負う、とここで断定はできません。契約、認識、具体的な行為によって責任の分け方は変わります。ここでいう「確認責任」は、事故を防ぐための制作工程上の役割です。司法が決める法的責任と、現場が設ける再発防止策は分けて考えましょう。
見るべきは出どころ
生成AI時代の画像確認というと、「AIっぽい見た目を見破る技術」を想像しがちです。でも、今回のような問題を防ぐには、見た目当てクイズより、画像がどこから来たかを追えることのほうが重要です。
発注時に「AI使用の有無」だけを聞くのでは足りません。入力・参照した素材は何か。権利者は誰か。どんな許諾で使えるのか。加工後の画像と元の素材を比べたか。これらを記録し、次の担当者へ渡す必要があります。画像がAI生成かを推定する検出器の判定に任せるより、制作の来歴を残すほうが、権利者にも発注者にも説明しやすくなります。
制作者にとっても、検索結果に出た画像は自由素材ではない、歴史上の人物を描いた絵だから古い作品とは限らない、という確認が出発点です。岡山城によると、三善さんの豪姫らの肖像画は2022年(令和4年)に制作され、2026年には公式グッズにも使われました。描かれた人の時代と、描いた作品の時代を混同しないことが大切です。
まとめ
生成AIを通し、人が一部を描き直しても、元作品を基にし、その創作的な表現が残っていれば、著作権との関係は自動では切れません。類似性と依拠性を、画像ごと、利用ごとに見る必要があります。
今回の教訓は、AIを一律に禁止すれば終わる、ということではありません。制作者から制作会社、媒体まで、入力元、許諾、加工後の成果物を各段階で確かめられるようにすること。ツールの名前より、工程表と証拠を残す。その地味な仕事が、権利の連鎖を事故の連鎖にしないための土台なんです。