「日本代表」と聞くと、選手もコーチもいつも一緒に練習する、大きなチームを想像しませんか。ところがアルペンスキーの選手たちは、大学、企業、地域クラブなど、それぞれ別の場所で普段の練習をしています。代表チームは、毎日同じ教室にいるクラスというより、大会のたびに集まる選抜チームに近いんです。
その日本代表で、河野恭介氏が新しいヘッドコーチに就きました。掲げたテーマは「勝てる仕組みを作る」。強豪国より少ない予算で戦うため、代表だけで全部を抱えず、所属チーム、個人コーチ、海外チームまでつなごうとしています。さて、つなぐだけで本当に速くなれるのか。今日はそこを、慌てず順番に見ていきましょう。

アルペンスキーのシーズン開幕会見が18日、都内で行われた。昨季までチーフコーチだった河野恭介氏(34)がヘッドコーチに就任した。「勝てる仕組みを作る」をテーマ… - 日刊スポーツ新聞社のニュースサイト、ニッカンスポーツ・コム(nikkansports.com)
今回の登場人物
- 河野恭介: 日本アルペン代表の新ヘッドコーチです。現役引退後にオーストリアの強化体制を学び、同国代表のスタッフ、日本男子のチーフコーチを経験しました。今回は個々の選手を見る立場から、代表全体の道筋を描く立場になります。
- 全日本スキー・スノーボード連盟(SAJ): 強化指定選手を選び、国際大会への派遣や参戦基準を決める競技団体です。代表の「本部」ですが、選手の日常指導をすべて引き受けているわけではありません。
- 所属チームと個人コーチ: 大学、企業、地域クラブなどで、選手を普段から見ている人たちです。学校でいえば担任の先生に近く、体調や技術の小さな変化を長く追えます。
- サービスマン: 雪質に合わせてスキー板やワックス、エッジを調整する専門家です。速い選手でも、足元が雪に合わなければ苦しい。レース車の整備担当のような存在です。
- FISポイントと国枠: FISは国際スキー・スノーボード連盟です。FISポイントは国際成績を比べる物差しで、基本的に数字が小さいほど上位。国枠は、日本が大会で使える「出場の座席数」だと思えば大丈夫です。
何が起きたか
日刊スポーツは9月18日、アルペンスキーのシーズン開幕会見で、昨季まで男子チーフコーチだった河野氏がヘッドコーチに就任したと報じました。この役職は公募で決まり、河野氏は4年、8年という長期計画を持って応募したと説明しています。
目標に置いたのは、2030年と2034年の冬季五輪での入賞と、出場人数、つまり国枠を増やすことです。これは「次の大会でメダルを取ります」という約束ではありません。まず世界大会へ継続して選手を送り、その中で上位へ近づく道を太くする目標です。いきなり屋根を載せず、まず階段を造る話ですね。建築としてはたいへん正しい。
2026年のミラノ・コルティナ五輪では、日本のアルペン代表は男女各1人でした。JOCの公式記録では、男子の相原史郎は回転20位、女子の安藤麻は回転で途中棄権でした。河野氏は、選手やスタッフの努力が最大化されず、組織に積み上がっていないことへ危機感を示しています。
同紙はまた、河野氏の説明として、日本の予算は強豪国の10分の1以下で、指導人材や欧州での練習環境にも差があり、今夏は予算削減で海外遠征へ派遣できなかったと伝えました。
ここは大事なので、そっと赤線を引きます。「10分の1以下」は、比較した国、年度、費目、具体額が公開資料で確認できた数字ではありません。本稿では、河野氏が会見で示した規模感として扱います。電卓で再現できない数字を、こちらで勝手にカチカチ確定させてはいけません。
代表は集合体だ
では、なぜ所属チームや個人コーチとの連携が必要なのでしょうか。
SAJが公開する2026/27シーズンの強化指定選手を見ると、所属先には大学、企業、高校、地域クラブが並びます。選手は「日本代表」という一枚のユニホームを着ても、普段は別々の環境で育っているわけです。
代表スタッフが合宿で「この動きを直そう」と伝えても、所属先へ戻ったあと別の方針で練習すれば、改善が途切れるかもしれません。反対に、個人コーチが日々つかんだ体調の変化や技術上の発見が代表へ届かなければ、大会で生かせません。
同じ選手に四人のコーチがつくのは、四倍頼もしく見えます。でも四人が別々の方向へハンドルを切ったら、車はたぶん車庫から出るところで困ります。人数より先に、行き先と役割をそろえる必要があるんです。
これは会見で急に生まれた考えでもありません。SAJの2026/27シーズンW杯参戦基準は、強化指定区分のC・Dランクの選手が出場する場合、代表の強化スタッフとは別の外部コーチやサービスマンなどを大会期間中に帯同できることを条件にしています。つまり代表外の支援者は、すでに「いたらうれしい応援団」ではなく、参戦を支える実務の一部になっています。
連携で増やせるもの
連携の一番の効き目は、お金を魔法で増やすことではありません。すでにある知識や人材を、途中で落とさず使うことです。
たとえば、代表と所属先で年間の練習計画を共有する。滑走映像、体力測定、けがの状態、用具調整の記録を同じ基準で残す。大会後の反省を個人コーチへ戻し、次の代表活動で続きを確認する。こうすれば、一度覚えたことを合宿のたびに最初から説明する「強化版・毎回はじめまして」を減らせます。
海外チームとの協力にも意味があります。アルペンは、雪の上での練習が欠かせません。しかもコースの斜面や雪質は場所によって違います。欧州のチームと合同練習ができれば、練習場所を共有し、現地の知識や競争相手に触れられる可能性があります。河野氏は現役引退後、強豪オーストリアの連盟で強化体制を学び、同国代表スタッフも経験しました。その経験は、単に海外の名刺を何枚持っているかではなく、どんな連携なら現場で回るかを知る材料になりえます。
国内にも土台があります。SAJはアルペントレーニングセミナーで、代表の強化方針やフィジカルテストを地域の指導者と共有してきました。2025年の報告では、普及、育成、強化の循環には地域との連携が重要だとしています。
一円を十円にはできません。でも、ポケットの穴から一円ずつ落とすような無駄は減らせるかもしれない。連携の現実的な価値は、そこにあります。
消えない壁
ただし、連携は予算の代用品ではありません。飛行機代、宿泊費、雪上日数、用具、サービスマンの人件費は、会議を増やしても無料になりません。オンライン会議は便利ですが、画面の向こうから雪は出てこないんですね。そこは機械にも限界があります。
海外チームと組む場合も、「一緒にやりましょう」で完成ではありません。どの選手がいつ参加するのか。現地コーチは何を担当するのか。費用は誰が負担するのか。技術方針が食い違ったとき、最後に誰が決めるのか。けがや体調の情報をどこまで共有するのか。こうした地味な決め事が必要です。
とくに大切なのは、代表が責任まで外へ渡さないことです。個人コーチを尊重しながらも、選考、安全管理、国際大会での最終判断は、誰が担うのかを明確にしなければなりません。みんなで支えることと、みんなで責任を薄めることは、似ているようで正反対です。
成否の物差し
この改革が成功したかどうかを、メダルだけで判定するのは早すぎます。河野氏自身も、2030年と2034年の五輪での入賞を目標に置き、国枠を増やすという段階的な道筋を示しています。
途中では、まずFISポイントの順位が上がったかを見られます。欧州杯で上位に入る選手が増えたか。W杯へ出場するだけでなく、回転や大回転で2本目へ進めたか。世界選手権へ何人を送れたか。けがで計画が切れず、ジュニア年代の選手がシニアへ育ったか。こうした数字なら、メダルより前から毎季の積み上がりを確かめられます。
SAJの現行基準でも、W杯出場にはWCSL(W杯スタートリスト)、FISポイント順位、欧州杯成績などが使われます。WCSLは、W杯などの成績を反映し、出場選手の登録やスタート順にも使われるリストです。国別枠を使う場合は当該種目のFISポイント順位120位以内、男子の基本枠では150位以内などの条件があります。なお、これは2026/27シーズンのW杯参戦基準です。五輪の出場枠は別のルールで決まるため、二つを同じ「国枠」の箱へ雑に入れないようにしましょう。
そして組織面では、所属先や個人コーチと定期的に計画を共有できたか。海外チームとの協力が、単発の合同練習で終わらず翌季へ続いたか。選手がどこにいても同じ評価基準を使えたか。このあたりが「勝てる仕組み」の健康診断になります。
勝てる仕組み
最初の問いに戻りましょう。強豪国の10分の1以下だと河野氏が説明する予算でも、連携によって競争力を高められるのか。
答えは、「高める余地はある。ただし条件つき」です。代表、所属、個人コーチ、海外チームが、一つの年間計画、同じデータ、明確な役割、最後に決める人を共有できれば、限られた人材と環境を今より途切れず使えます。連携は、お金や雪を生む魔法ではありません。持っている資源を、ばらばらのまま眠らせないための増幅器です。
日本代表を強くするというと、つい有名な外国人コーチを呼ぶとか、大きな施設を造るとか、派手な一手を想像しがちです。でも河野氏が向き合うのは、もっと地味で、たぶんもっと難しい仕事です。誰が、いつ、何を見て、どこで次の人へ渡すのか。それを毎年積み上げることです。
速く滑る前に、同じ方向へ滑る組織をつくれるか。日本アルペンの新しいシーズンは、まずそこから始まります。
Sources
- 日刊スポーツ「河野恭介氏が日本HC 強豪国の10分の1以下予算から改革」
- 全日本スキー・スノーボード連盟「SNOW JAPAN アルペン」
- 全日本スキー・スノーボード連盟「2026/2027シーズン 国際主要大会参戦基準 アルペン」
- 全日本スキー・スノーボード連盟「アルペントレーニングセミナー2025」
- 全日本スキー・スノーボード連盟「アルペントレーニングセミナー2026/2027夏」
- JOC「ミラノ・コルティナ2026 スキー・アルペン TEAM JAPAN」
- JOC「相原史郎」
- JOC「2月18日の結果 スキー・アルペン」
- FIS「Alpine Skiing World Cup Start List」
- Goldwin「河野恭介」