田んぼで農家が排水口を点検すると、離れた下流の住宅地でも浸水リスクが下がるかもしれない。ところが、水は下流へ流れても、草刈りや点検の手間まで勝手に流れていってはくれません。そこは妙に律義なんです。

静岡県で取り組みが広がる「田んぼダム」は、水田へ降った雨を一時的にため、川や水路へ出る勢いを弱める仕組みです。技術の話は排水口で済みますが、本当の難所はその先。手間を担う田んぼの農家と、恩恵が広がる下流の住民を、どうやって同じ仕組みに乗せるのでしょうか。

田んぼの治水力を高め水害リスク軽減へ「田んぼダム」大区画化で農家の負担軽減も|FNNプライムオンライン
田んぼの治水力を高め水害リスク軽減へ「田んぼダム」大区画化で農家の負担軽減も|FNNプライムオンライン

全国的に、大雨による水害が頻発し激甚化する中、静岡県内では、水田を生かした治水の取り組みが広がっている。川の急激な水位上昇を抑えることができるという「田んぼダム」とは。静岡県伊豆の国市原木。こちらにある水田は一見、普通の水田だが、実は水を貯める能力を高めた「田んぼダム」と呼ばれる水田だ。伊豆の国市が、モデル事業として530万円をかけて整備した。伊豆の国市農林課によると、通常の畦畔に比べて、約10㎝高くしている。ここでは畦畔の高さを30cmにして、水がたくさん貯留できるように整備された。広さは約…

今回の登場人物 ​

  • 田んぼダム: 水田の排水口に調整板などを設け、雨水をゆっくり流す取り組みです。コンクリートの巨大ダムを田んぼに置く話ではありません。
  • 上流の農家: この記事では、下流との対比で、雨水をためる田んぼや畦、排水設備を管理する農家をこう呼びます。必ずしも流域の最上流にいる、という意味ではありません。
  • 下流の住民: 水路や河川の急な水位上昇が抑えられることで、浸水リスク低減の恩恵を受け得る側です。
  • 流域治水: 川だけでなく、山、田畑、町を含む流域全体で水害を減らす考え方です。川ひとりに残業を押しつけない作戦、と言えば近いでしょう。
  • 多面的機能支払交付金: 農地や水路を地域で共同管理する活動を公費で支える仕組みです。田んぼダムでは、畦や農地の整備、調整器具の購入などに活用できます。

何が起きたか ​

FNNプライムオンラインの記事は、静岡県伊豆の国市や三島市で進む田んぼダムの取り組みを報じました。

伊豆の国市原木のモデル水田は約4000平方メートル。周囲の畦を一般的なものより約10センチ高い約30センチにし、記事では一般的な25メートルプール約3杯分の水を一時的にためられると説明されています。排水桝には水の出口を絞る仕組みを設け、たまった水を少しずつ流します。

同じ記事では、三島市安久地区の7.2ヘクタールの水田も紹介されました。ここで大事なのは、田んぼダムの治水効果が実施地域に加え、その下流にも及び得るという点です。水をためる場所と、恩恵が広がる場所がすべて同じとは限りません。

水の出口にブレーキを付ける ​

田んぼダムの名前は少々大きいのですが、基本の動きは、名前に比べてかなり地味で堅実です。水田の排水桝へ、小さな穴の開いた板や堰板を設置する。大雨が降ったとき、雨水を一気に水路へ出さず、時間をかけて排水する。それによって、水田から出る水のピークを低くします。

農林水産省の手引きは、熊本県の球磨川流域にある特定の調査水田で、規模の異なる二つの雨を観測しています。その条件では、田んぼダムを導入した水田の排水ピークが、導入していない水田より46〜75%低くなりました。

おお、半分以上も減るのか。ここで拍手する前に、数字の名札を確認しましょう。46〜75%は、特定の水田、設備、雨について測った排水ピークの低下です。全国どこでも洪水被害が同じ割合で減る、という数字ではありません。

田んぼ一枚だけで町を守るものでもありません。多くの水田で少しずつ流す時間をずらし、水路や川へ水が集中するのを和らげる。主役は一枚のスーパーヒーローではなく、田んぼの団体戦です。

プール3杯を大きく言いすぎない ​

伊豆の国市の「プール約3杯分」も、モデル水田の一時的な貯水能力を分かりやすく表した数字です。それ自体が、下流の住宅を何戸守れるかを示す数字ではありません。

実際の効果は、雨の量と降り方、水田の広さ、畦の高さ、排水口の形、水田が流域のどこにあるかで変わります。農水省は、水田の条件と降雨、調整板の種類を入れて排水量を試算する計算プログラムも用意しています。つまり「田んぼダムを付けた。はい安心」ではなく、この地域のこの雨にどれほど効くかを計算し、観測する必要があるわけです。

記事に登場する沼津工業高等専門学校の学生たちは、水面までの距離を測るセンサーを開発し、効果の見える化に取り組んでいます。これは立派な研究であると同時に、農家へ「あなたの管理が下流でこう役立った」と伝える道具にもなります。数字は成績表だけでなく、協力を続ける理由になるんです。

手間は上流に残る ​

田んぼダムは、板を一枚入れて永久に完成、ではありません。畦が低くなったり弱くなったりすれば、ためた水があふれるおそれがあります。排水口にごみが詰まれば、必要なときにうまく働きません。草刈り、畦の補修、排水桝、調整器具の点検が要ります。

しかも、水をゆっくり流すことは、農作業の都合とぶつかる場合があります。農水省の手引きが紹介する2023年度(令和5年度)のアンケートでは、継続実施地区の回答262件のうち53件が、排水遅れにより作業が遅れた経験が「あった」としており、約20%でした。多数ではないとはいえ、ゼロでもありません。

作物へ影響しない範囲で水をため、必要なときは迅速に排水できる設備を整える。機械が入る時期には器具の扱いも変わります。「防災に良いんだから、農家さんお願いします」で済ませると、お願いだけが元気で、仕組みが先に息切れします。

恩恵は下流にも流れる ​

ここで中心問いです。田んぼの農家が管理を担い、実施地域だけでなく下流の住民も浸水リスク低減の恩恵を受け得るなら、費用と作業を農家だけへ置いてよいのでしょうか。

農水省の手引きは、田んぼダムを農家の協力で行う取り組みだと明記し、地域ごとの実施体制、関係者の情報共有、協議、相互理解が必要だとしています。畦や排水桝の整備、調整器具の購入には、農地整備事業や多面的機能支払交付金を使い、農業者の負担を軽くすることが重要だとも述べています。

さらに手引きは、恩恵を受ける下流側の都市住民と協働できるかを調べています。住民側が協力できる内容として経済的支援や労働提供が挙がり、農家側の期待とおおむね一致しました。一方、「協力を頼まれたら参加するか」と聞かれて態度を決めかねる人も多かった。知らない仕組みへ、いきなり長靴を履いて参加してくださいと言われても困りますよね。

だから見える化が必要です。どの田んぼが、どの雨で、どれだけ流出のピークを下げたか。整備費や点検を誰が負担しているか。そこが見えて初めて、下流の住民も自分の防災とのつながりを理解できます。

農業にも得がある形へ ​

伊豆の国市のモデル事業には、治水だけでなく、田んぼの大区画化という狙いもあります。記事では、三つに分かれていた区画の間の畦を取り除いて一つにし、田植えなどの作業を効率化する例が紹介されています。

これは大事な組み合わせです。防災のためだけに農家へ新しい仕事を足すのではなく、排水設備の改善や大区画化で日常の農作業も楽にする。下流の安全と上流の農業を、同じ工事の中でつなげられる可能性があります。

ただし、どの田んぼでも区画をまとめられるわけではありません。地権者、耕作者、水路、土地の高さは地域ごとに違います。伊豆の国市の事例を、そのまま全国へコピーできるとは限らない。参考書にはなりますが、解答用紙は地域ごとに書く必要があります。

全国9.9万ヘクタールの次 ​

農水省の改訂資料によると、田んぼダムの取組面積は2024年度末までに約9万9000ヘクタールへ増えました。ただし、北海道や東北など一部地域への集中もあります。

面積を増やすだけでは足りません。器具が設置され、畦が保たれ、大雨のときに機能し、その効果が測られること。農家が続けられる費用と作業量であること。下流の自治体や住民が、受ける恩恵を理解して支えること。この一連がそろって、初めて「地域のダム」になります。

国土交通省が進める流域治水は、国や自治体だけでなく、企業や住民を含む流域の関係者が協働する考え方です。田んぼダムは、その考え方が非常に分かりやすく現れる場所です。雨は行政区の線を見て止まりません。ならば対策も、田んぼの持ち主だけで閉じない方がよいわけです。

まとめ ​

田んぼダムは、水田へ降った雨を一時的にため、下流へ流れ出すピークを抑える仕組みです。洪水を一枚で止める魔法ではありませんが、多くの水田が参加すれば、流域全体で水を受け止める力になります。

ただし、管理の手間は上流の農家に残り、恩恵は下流にも広がります。この場所のずれを放置すれば、取り組みは善意頼みになる。整備への公的支援、共同点検、農作業の効率化、効果の見える化を組み合わせ、上流と下流を同じチームにする。いや、ここが田んぼダムを長く働かせる本当のミソなんです。

Sources ​