店員に強い口調で苦情を言ったら、すぐカスタマーハラスメントなのか。逆に、要求の中身に一理あれば、何時間粘っても許されるのか。どちらの疑問も、一本の物差しだけでは答えられない。ここは少し丁寧に見よう。
2026年10月1日から、事業主にはカスタマーハラスメント、いわゆるカスハラへの対策が義務づけられる。ただし、新しいルールは「苦情禁止」の札を店先に掛ける話ではない。見るのは、要求の内容と、伝える手段・態様。そのうえで、法律の3要件を全部満たすかを確かめる。ここを分けると、正当な申し入れとカスハラの境界がずいぶん見やすくなる。

あす10月1日から企業側にカスハラ対策を講じることが義務付けられる。イット!はカスハラ被害が“日常”だというタクシー会社を取材した。一方で、街では「どこからがカスハラになるのか迷う」という声も聞かれた。タクシーの車内に設置されたドライブレコーダーに記録されていたのは…。午後9時前に予約場所に到着した運転手がドアを開けると、乗ってきたのは「何だよおい、ふざけんなよ」などと声を上げながらもめている様子の2人。1人が「住所!住所!」と呼びかけるも、もう1人は「お前に言う住所なんてねぇ」などと、行き先…
今回の登場人物
- カスタマーハラスメント: 職場で行われる顧客や取引先、施設利用者などの言動のうち、社会通念上許される範囲を超え、働く人の就業環境を害するもの。略してカスハラ。
- 事業主: 会社、店、病院、学校など、労働者を雇う側。新制度では、現場の一人に対応を丸投げせず、方針や相談窓口、悪質な言動への対処をあらかじめ用意する。
- 顧客等: 商品を買った人だけではない。これから買う可能性のある人、取引先、施設利用者や家族、近隣住民なども含まれる。電話やSNS上の言動も対象になりうる。
- カスハラ防止指針: 法律の要件と、会社が取るべき措置を具体化した厚生労働省の指針。2026年2月26日に告示され、同年10月1日から適用される。
- 正当な申入れ: 商品の不具合や説明不足、差別的な対応などについて、社会通念上許される範囲で改善や説明を求めること。苦情だから自動的にカスハラ、ではない。
何が起きたか
FNNプライムオンラインは、10月1日の義務化を前に、埼玉県内のタクシー会社を取材した。報道では、乗客が運転手を蹴ろうとして防犯板を壊した事例や、窓から手を入れて火のついたたばこを振り回した事例が紹介されている。これは軽く扱えない。暴行や脅迫に当たりうる行為は、接客の工夫で我慢する話ではなく、警察への通報も選択肢になる。
制度の土台は、2025年6月11日に公布された改正法、2025年法律第63号だ。この改正により、カスハラを防ぐための雇用管理上の措置が事業主の義務になり、2026年10月1日に施行される。
会社には運転手が120人おり、取材時点で5人がカスハラによる精神的苦痛で休職しているという。被害の報告は週に1、2回。会社は毎月、安全講習会で実際の映像を見ながら対応を話し合い、言動の制止、警告、警察への通報を段階に分けたマニュアルも配っている。
一方、街頭取材では「店のために伝えた方がよい苦情までカスハラになるのか」と迷う声も出た。ここが今回の本題だ。暴力のように明白な例だけでなく、普通の苦情とカスハラの間をどう見分けるのか。指針は、その判断を「声が大きいか」「何分続いたか」だけには任せていない。
ここが本題
法律上のカスハラは、次の三つをすべて満たすものだ。
- 職場において行われる顧客等の言動である。
- 業務の性質などに照らし、社会通念上許される範囲を超えている。
- それによって、労働者の就業環境が害される。
ここで「就業環境が害される」とは、平均的な労働者の感じ方を基準に、働くうえで看過できない程度の支障が生じることをいう。
つまり、「不快だった」だけでも、「客が怒った」だけでも自動判定にはならない。反対に、店側のミスが本当にあっても、伝え方が社会通念上の範囲を超え、働く環境を害すれば、カスハラになりうる。ここで答案用紙を二枚に分けよう。苦情の正しさと、苦情の伝え方は、別々に見る。
判断の中心になる2番目の要件を、指針は二つの軸に分けている。一つは言動の内容、もう一つは手段や態様だ。どちらか一方だけが許容範囲を超える場合でも、該当しうる。
要求内容を見る
まず、何を求めているのかを見る。指針が挙げるのは、商品やサービスと全く関係のない要求、契約で想定されたサービスを著しく超える要求、対応が著しく困難または不可能な要求、不当な損害賠償要求などだ。
たとえば、注文と違う商品が届いたので交換を求める。表示された期限内のクーポンが使えなかったので、理由の説明を求める。こうした申し入れには、商品やサービスとの関係がある。口調や時間などを別にすれば、内容だけで直ちにカスハラとは言えない。
逆に、商品とは関係のない私的な連絡先を教えろ、契約にないサービスを無償で延々と提供しろ、と迫れば、要求内容そのものの相当性が問題になる。ただし、実際の判断は業種、契約、経緯などで変わる。「この一言が出たら一発で確定」というほど、法律は便利な早見表ではない。
もう一つ大事なのが、障害のある人による合理的配慮の申し出だ。不当な差別的取扱いをやめるよう求めたり、社会的な障壁を取り除くための配慮が必要だと伝えたりすること自体は、カスハラには当たらない。会社側は、消費者の権利や障害者差別解消法上の義務にも目を配る必要がある。「対応が面倒だからカスハラ」という近道は、道ではなく壁です。
伝え方を見る
次に、どう伝えたかを見る。指針には、暴行や傷害、脅迫、侮辱、暴言、威圧的な言動、継続的で執拗な言動、長時間の居座りなどが典型例として並ぶ。
FNNの取材で弁護士が挙げた「時間の拘束」と「継続性」は、まさにこの軸を考える重要な手掛かりだ。十分な説明を受けても同じ要求を何度も繰り返す。店舗へ何度も来る。電話を長時間切らせない。要求の出発点に理由があっても、その続け方によって現場の仕事が止まり、労働者の就業環境が害されることはある。
ただし、「30分を超えたら全部カスハラ」のような全国共通タイマーが法律に埋め込まれたわけではない。判断では、目的、問題が起きた経緯、店側の対応、業種、頻度、継続性、労働者の心身の状況、当事者同士の関係などを総合的に考える。救急医療と家電の問い合わせでは、サービスが途絶えた時の影響も違う。砂時計をひっくり返しただけでは、法律相談は終わらないんです。
会社側の不適切な説明や対応が原因・背景になっている場合にも留意する。これは暴言を正当化する意味ではない。会社のミスの検証と、従業員を危険な言動から守ることを、どちらも省略しないということだ。
会社の宿題は判定札ではない
今回の義務化で、会社が用意すべきなのは、入口に「カスハラお断り」と貼ることだけではない。厚労省の説明を整理すると、宿題は五つある。
一つ目は、カスハラに毅然と対応して労働者を守る方針を明確にし、対処法と一緒に周知・研修すること。二つ目は、相談窓口を定め、担当者が適切に対応できる体制を整えること。三つ目は、相談後に事実を速やかに確認し、被害者の保護と再発防止を行うことだ。
四つ目は、特に悪質な場合の対処を事前に決め、実際に動ける体制をつくること。管理職へ交代する、一人で応対させない、適法に録音・録画する、十分に説明しても要求が続けば退店を求めたり電話を切ったりする、犯罪に当たりうる言動なら警察へ通報する、といった方法が示されている。
五つ目は、相談者のプライバシーを守り、相談したことを理由に不利益な扱いをしないこと。窓口を作っても、相談した人が勤務評価を下げられるなら、誰もノックしませんからね。
この仕組みの狙いは、現場の店員や運転手に「その場で法的に判定し、全部一人で収めてください」と背負わせないことだ。迷う案件ほど上司や専門部署へつなぎ、事実と記録を確かめる。即断力を競うより、交代できる設計を作る方が大切になる。
客側にも残る大事な道
では、客は黙って受け入れるしかないのか。もちろん違う。注文と違う、説明と請求が合わない、安全に不安がある、差別的な対応を受けた。こうした問題を、事実を示して尋ね、説明や是正を求める道は残る。
伝える時は、何が起きたか、いつどこで起きたか、何を確認・改善してほしいかを分けるとよい。担当者個人への侮辱や私生活への攻撃、際限のない謝罪要求を混ぜない。要望が伝わる前に怒鳴り声だけが到着したら、肝心の荷物が行方不明です。
会社側も「カスハラか、正当な苦情か」の二択を急ぎすぎない方がよい。まず安全を確保し、言動を止め、記録し、商品・サービス上の問題は別の線で調べる。従業員保護と苦情処理を分けて走らせれば、どちらかをなかったことにせずに済む。
まとめ
カスハラは、苦情が強かったかどうかだけでは決まらない。職場で行われる顧客等の言動であり、社会通念上許容される範囲を超え、それによって就業環境が害される。この3要件を全部確認し、真ん中の要件では「要求内容」と「手段・態様」を分けて見る。
正当な苦情まで封じれば、商品やサービスを直す機会を失う。だからといって、暴力、脅迫、長時間の拘束を接客担当者の我慢に押し込んでもいけない。10月1日からの新しい宿題は、客を黙らせることではなく、苦情を受け止める道と、働く人を守る線を、会社が先に設計しておくことなのである。